「やまたい」とは、何を意味したのか
邪馬台国という名前も、私は最初から漢字で存在していたとは思っていません。
卑弥呼と同じです。
日本側では、ただ「やまたい」に近い音で呼ばれていた。
それを中国側が聞いて、自分たちの文字で記録した。
だから「邪」「馬」「臺」という漢字の意味を、そのまま日本側の
意味として読む必要はないと思っています。
では、「やまたい」とは何だったのでしょう。
私は、山の名前だけではないと思っています。
当時の人たちは、山の中だけで暮らしていたわけではありません。
川沿いにも住む。
海辺にも住む。
湿地のそばにも住む。
田畑のある平地にも住む。
それなのに、広い連合全体を「山の国」と呼ぶのは少し不自然です。
そこで私は、「たい」という音の方が気になります。
いくつもの地域が集まった。
それぞれに長がいる。
祭祀も暮らしも少しずつ違う。
でも、大事な時にはまとまる。
それは今でいう、一つの国というより連合体に近い。
だから「やまたい」は、
たくさんの地域が集まった、大きなまとまり
を表す呼び名だったのではないか。
私はそう考えています。
そして、この連合が長く続けば、ただ集まっているだけでは足りません。
争わないようにする。
水を分ける。
食料を融通する。
祭りを合わせる。
外から来た人も受け入れる。
少しずつ、同じ仲間という意識が生まれていく。
そうなった時、「やまたい」という大きな連合は、別の呼び方へ変わって
いったのかもしれません。
その先にあるのが、
「やまと」
だったのではないでしょうか。
「やまたい」と「やまと」。
音が似ているだけではなく、社会の形が変わる中で、呼び名まで変化していった。
私は、その可能性を考えています。