邪馬台国は、本当に一つの国だったのか
邪馬台国というと、一つの大きな国があり、その頂点に卑弥呼という女王がいた。
そんな姿を思い浮かべる人が多いと思います。
でも私は、少し違う姿を想像しています。
当時の日本に、今のような国境線があったのでしょうか。
地域ごとに集落があり、一族があり、長がいる。
普段の暮らしは、それぞれが自分たちで営んでいた。
でも祭り、交易、災害、争い、外国との交渉のような大きな出来事になると、
いくつもの地域が集まって話し合う。
私は、邪馬台国とはそんな地域共同体の連合体だったのではないかと思っています。
その中心にいたのが「ひみこ」。
以前にも書きましたが、私は「卑弥呼」を個人名ではなく、
日の巫女。
太陽を祀る巫女たちのトップを表す呼び名だったと考えています。
政治の王というより、人々を精神的につなぐ祭祀の中心。
それなら、いろいろな地域の人たちが一人の「ひみこ」を中心にまとまっていても
不思議ではありません。
中国側から見れば、その姿は「女王が国々を治めている」と見えたかもしれない。
でも日本側では、
「この人が全部を支配している」
ではなく、
「大事な時には、みんなこの人のところへ集まる」
くらいの感覚だったのではないでしょうか。
そう考えると、邪馬台国の場所を一か所だけ探し続ける必要もなくなります。
九州にも痕跡がある。
四国にもある。
淡路にもある。
近畿にもある。
それは別々の候補地ではなく、同じ連合の中にあった地域だったのかもしれません。
邪馬台国は、地図に一本の線を引いて囲める国ではなかった。
人と人がつながってできた、大きなネットワークだった。
私は、そんな姿を想像しています。