長髄彦は、本当に「大和の敵」だったのか
2014.06.25
長髄彦の物語を読んでいると、つい神武天皇の側から見てしまいます。
神武東征。
大和へ入る。
長髄彦が抵抗する。
最後は敗れる。
物語の主人公が神武なら、長髄彦はどうしても「立ちはだかる敵」になります。
でも立つ場所を変えてみます。
長髄彦は、すでにその土地にいた側です。
そこには人々が暮らしていた。
祭祀があり、政治があり、地域のまとまりがあったのでしょう。
そこへ外から別の勢力が入ってきた。
その時に戦った。
それだけを見れば、「敵」という言葉自体が誰から見た呼び方なのかが分かります。
さらに長髄彦は、饒速日を受け入れています。
ここが面白い。
外から来た者を全部排除していたわけではない。
饒速日とは関係を結んだ。
でも神武側とは戦った。
ならば、単純な「排他的な土地の支配者」ではなかった可能性があります。
誰を受け入れ、誰と戦うか。
その間には外交があったはずです。
婚姻。
同盟。
利益。
安全保障。
土地の支配。
人間社会なら、必ずそういう判断があります。
長髄彦を悪役として見るのをやめると、この人物は急に政治家らしく見えてきます。
大切なのは、彼が善人だったと決めることではありません。
なぜ饒速日を受け入れ、なぜ別の勢力には抵抗したのか。
そこを考える。
すると「神武東征」という一本の物語の裏側に、もう一つの大和の歴史が見えてくる気がします。
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