秦氏は、技術を運んできた人々だったのか
2013.07.26
秦氏というと、古代の「渡来系氏族」と説明されることが多くあります。
けれど、それだけでは何をしていた人たちなのかが見えてきません。
京都市は、秦氏が5~6世紀ごろに養蚕や機織りの技術を伝えたと説明しています。また、桂川では堰を築き、川の水を農業用水として利用する灌漑にも関わったとしています。
布を織る。
水を引く。
土地を開く。
寺を建てる。
これらはまったく別の仕事に見えますが、共通していることがあります。
そこに人が暮らせる環境をつくる仕事です。
新しい土地へ移った人たちが、持っていた技術をそのまま守っただけでは、大きな地域社会にはなりません。
その土地の人と一緒に働き、材料を探し、川や山を知り、使える形へ変えていく必要があります。
そして技術は、人から人へ渡っていきます。
最初に海を渡ってきた人だけが秦氏だったのでしょうか。
その人から機織りを習った人。
水路の作り方を覚えた人。
一緒に土地を開いた人。
その子どもや孫。
何世代も続けば、「秦氏」という名前の中には、血のつながりだけでは説明できない
多くの人が加わっていったはずです。
京都の太秦、深草、伏見などに秦氏の痕跡が残っていることを考えると、秦氏とは一つの
家族というより、技術を持つ人々を中心に広がった大きなネットワークだったのではないでしょうか。
人が移動すれば、技術も移動する。
そして技術が土地に根づけば、それはもう移住してきた人だけのものではありません。
そこに暮らす人々の技術になります。
秦氏が日本に残した一番大きなものは、名前ではなく、人から人へ渡っていった技術だったのかもしれません。
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