昔の日本人は、なぜ「余白」を残したのか
2013.10.29
昔の日本の家や庭を見ると、不思議なくらい何もない場所があります。
広い畳。
土間。
縁側。
庭の空間。
全部を物で埋めていない。
私は、あれは単に物が少なかったからではないと思っています。
余白そのものに役割があった。
人が集まる。
子どもが遊ぶ。
客が来る。
布団を敷く。
作業をする。
何も置いていないから、その時に必要な場所へ変えられる。
つまり、空いているのではなく、
使い方を決めすぎていない。
これが日本の暮らしの面白さだった。
庭も同じです。
全部を花で埋めない。
石を置く。
木を一本残す。
苔を生かす。
水を見せる。
そして、何もない場所を残す。
そこに風が通る。
光が入る。
季節が見える。
私は、日本人が昔から大切にしてきた「間」も、ここから生まれたと思っています。
会話でも、ずっとしゃべらない。
音楽でも、音だけを並べない。
建物でも、壁だけで閉じない。
人と人の間にも、物と物の間にも、少し余白を残す。
全部を決めない。
全部を埋めない。
全部を固定しない。
その余白があるから、状況に合わせて変えられる。
私は、これが日本人の柔らかさにつながっていると思っています。
今は空いている場所を見ると、何か置きたくなる。
予定が空いていると、何か入れたくなる。
沈黙があると、何か話したくなる。
でも昔の日本人は、
何もない時間や場所も、必要なもの
として扱っていた。
余白は無駄ではない。
次の何かを受け入れるための場所だった。
私は、そこにも日本らしいおおらかさがあると思っています。
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