一人の王が全部を決めていたのか
一人の王が全部を決めていたのか
古代の歴史を見ると、どうしても王や天皇の名前が中心に出てきます。
誰が国を治めた。
誰が都を作った。
誰が寺を建てた。
誰が新しい制度を始めた。
記録だけを読んでいると、一人の人物が考え、命令し、大勢の人がその通りに
動いて社会ができたようにも見えます。
でも、実際の現場まで考えると、それだけでは成立しません。
飛鳥池工房遺跡では、金・銀・銅・鉄、ガラス、漆、瓦など、さまざまな製品が作られていました。
文化庁は、この遺跡について、工房を管理する施設と、実際に多くの炉を使って製造する
工房群が分かれて存在していたと説明しています。
さらに、木簡から原料や製品の管理、宮廷や寺院への物資供給なども行われていたことが分かっています。
つまり、
作る人。
材料を管理する人。
注文や供給を管理する人。
運ぶ人。
使う側の人。
それぞれ別の役割が必要だったということです。
王が「これを作ろう」と決めたとしても、金属の溶かし方まで王が知っている必要はありません。
ガラスの配合も。
炉の温度も。
木材の選び方も。
水路の作り方も。
実際にできる人が別にいます。
さらに、その技術者をまとめる人も必要です。
材料が足りなければ調達する人が必要です。
失敗すれば原因を考える人も必要です。
現場では、王の命令だけでは何も完成しません。
これは小さな集落でも同じだったのではないでしょうか。
水のことなら水を知っている人。
鉄なら鍛冶を知っている人。
山道なら山を知っている人。
農業ならその土地を知っている人。
祭りなら地域の伝承を知っている人。
その時々で、頼られる人は変わります。
だから古代社会を、
「偉い王がいて、その下にみんながいた」
という一本の縦線だけで見ると、実際に社会を動かしていた人たちの姿が消えてしまいます。
王や首長は、すべてを一人で決める超人だったのではなく、
それぞれ違う知識や技術を持った人たちの意見を聞き、地域や集団全体をまとめる役割
だったのではないでしょうか。
現代でも、社長一人で会社のすべての仕事をすることはできません。
設計。
製造。
営業。
経理。
現場。
それぞれに、その仕事を一番よく知る人がいます。
最後に方向を決める人がいたとしても、その決定は多くの人の知識の上に成り立っています。
古代も同じだったと考えると、
「誰が支配したか」だけではなく、
「その人の周りに、どんな人たちがいたのか」
を見る必要が出てきます。
歴史に名前が残ったのは王でも、実際に社会を作ったのは、その周りにいた大勢の人たち
だったのではないでしょうか。