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なぜ強い共同体が敗れたのか――神武東征に残る内通と策略

2015.09.18

――宴席に隠された刀。勝者の歴史書が語ってしまったもの

もし、自分たちの村を攻めてきた相手から、突然、宴会に招かれたらどうするでしょうか。

争いを終わらせたい。

もう誰も死なせたくない。

家族や仲間と、これまでどおり暮らしたい。

そう願っていたなら、相手の申し出を受け入れることもあるでしょう。

ところが、その宴席で料理を運んできた人々が、全員、刀を隠し持っていたとしたら。

合図の歌が始まる。

料理を運んでいた人々が一斉に刀を抜く。

そして、宴席にいた人々が斬り殺される。

恐ろしい話です。

しかし、これは現代の小説家が考えた物語ではありません。

日本最古の歴史書の一つである『古事記』に、実際に記されている場面なのです。

しかも、刀を隠し持たせたのは、後に大和を治める側として描かれる人々でした。

いったい、古代の大和で何が起きたのでしょうか。

忍坂の大室で起きたこと

『古事記』の神武東征には、忍坂の大室に「八十建」と呼ばれる人々がいたと記されています。

神武の軍勢は、彼らを討とうとしました。

そこで行われたのが、宴席を利用した策略です。

八十建に食事を振る舞い、一人ひとりに給仕役を付ける。

ただし、その給仕役には刀を持たせておく。

そして、あらかじめ決めた歌を合図に、一斉に斬りかからせる。

『古事記』には、その命令と殺害の経緯が具体的に記されています。

ここで注目したいのは、戦闘の結果だけではありません。

相手と正面から戦うのではなく、宴席という場を利用して警戒を解かせ、同時に攻撃したことです。

しかも、この出来事は敗者の側が残した抗議文ではありません。

勝者の正統性を伝える歴史書に記されているのです。

なぜ、こうした記録が残されたのでしょうか。

この疑問は、神武東征全体を読み直す入口になります。

神武軍は、最初から勝ち続けていたわけではない

物語を少し前に戻します。

神武軍は、河内から生駒山地を越えて大和へ入ろうとしました。

ところが、孔舎衛坂で長髄彦の勢力に阻まれます。

現在の東大阪市日下周辺に比定される場所です。

『日本書紀』では、神武の兄である五瀬命がこの戦いで負傷したと記されています。

神武軍は進軍経路を変更し、紀伊半島を回って大和を目指しました。

これは興味深い展開です。

侵攻してきた側は、初めから圧倒的に強かったわけではありません。

大和へ入ろうとして、土地の人々に阻まれたのです。

では、迎え撃った人々には、どのような強さがあったのでしょうか。

土地を知ることは、生きるための能力だった

当時の大和や河内には、現在とは異なる河川や湿地が広がっていました。

生駒山地には急な斜面や谷があり、雨が降れば道の状態も変わります。

そうした土地で何世代も暮らしてきた人々は、自然環境を熟知していたでしょう。

山で食料を得る。

川を渡る。

湿地を歩く。

木を切り、石を加工し、農地を耕し、道具をつくる。

暮らしそのものが、判断力と対応力を必要とする仕事の連続でした。

そして、それを男性も女性も、それぞれの役割や経験を通じて担っていたのです。

平和に暮らしていることと、弱いことは同じではありません。

むしろ、自然を相手に働いてきた人々には、その土地で生き抜く実践的な能力がありました。

外から来た軍勢が知らない道を知り、知らない危険を知っている。

その違いは、争いが起きたときにも大きな意味を持ったはずです。

一つの村を襲えば、周囲の村も動く

ここで、古代の共同体のつながりを考えてみます。

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