「征服」ではなく「融合」で見た古代日本
「征服」ではなく「融合」で見た古代日本
古代の歴史には、戦いの物語がたくさん出てきます。
誰かが攻めてきた。
誰かが負けた。
新しい支配者が生まれた。
だから歴史全体も、強い集団が弱い集団を征服しながら広がったように見えることがあります。
もちろん、争いがなかったとは思いません。
土地。
水。
食料。
移動する人々が増えれば、衝突が起こることもあったでしょう。
でも、人間は何百年も戦い続けることはできません。
最後には、一緒に暮らさなければ生活が続きません。
国立歴史民俗博物館は、水田稲作が九州北部から日本列島へ広がるまで約600年かかったと説明しています。
地域によって受け入れる時期も違い、縄文的な文化を残しながら農耕を取り入れた地域もありました。
これは、
「新しい集団が来て、一気に全部を変えた」
という姿とはかなり違います。
新しい人が来る。
そこで暮らす。
土地の人と交流する。
技術を伝える。
逆に土地の知識を教えてもらう。
その子どもたちが生まれる。
さらに別の土地へ移る。
そんな動きが、何世代も続いたと考える方が自然です。
国立歴史民俗博物館の展示でも、弥生文化は縄文系と大陸系の文化が混じり合って成立したものとして紹介されています。
ここには「征服」だけでは説明できないものがあります。
外から来た農耕技術。
土地に残っていた祭祀。
新しい金属器。
昔から使われていた文様。
それらが一緒になり、元の地域にはなかった文化が生まれている。
私は、古代日本を見る時、
「誰が誰を倒したのか」
だけでは足りないと思っています。
むしろ大切なのは、その後です。
戦ったとしても、その土地で生活を続けるなら協力が必要です。
水路を作る。
田を作る。
家を建てる。
道具を作る。
子どもを育てる。
祭りをする。
災害が起きれば一緒に直す。
そこで人間関係ができます。
昨日まで敵だった人の子ども同士が、次の世代では一緒に仕事をしているかもしれません。
さらにその次の世代になれば、
どちらが「元からいた人」で、どちらが「外から来た人」なのかさえ分からなくなっていきます。
古代日本は、
一つの民族が別の民族を完全に征服して作った社会だったのでしょうか。
それとも、
衝突を繰り返しながらも、最後には技術や文化、人そのものが混ざり合い、新しい共同体を作り続けた社会だったのでしょうか。
残されている文化の混ざり方を見ると、
古代日本の大きな流れは、「征服」よりも「融合」という言葉で見た方が、実際の人々の暮らしに近いのではないでしょうか。