巴御前は本当に実在したのか。八百年の時を超えて語り継がれた女武者の謎【3】
義仲の最後に、なぜ巴御前が必要だったのか
少し、物語を別の角度から見てみたい。
もし『平家物語』から巴御前の場面を取り除いたら、義仲の最期はどのように感じられるだろう。
義仲は、頼朝の軍勢に追われ、少数の家臣とともに最後の戦いに向かう。
今井兼平との再会があり、互いに励まし合う場面がある。
そして、粟津で命を落とす。
それだけでも、十分に悲劇的な物語である。
では、なぜそこに巴御前が登場するのだろう。
義仲と兼平は、最後まで戦い、命を落とす。
一方、巴は生き延びる。
同じ戦場にいても、全員が同じ結末を迎えるわけではない。
そこに、物語としての大きな対照が生まれている。
死を選ぶ者。
生きることを命じられる者。
最後まで主君とともにいたいと願う者。
それぞれの思いや立場が交錯することで、義仲の最期は単なる敗北の記録ではなく、人間同士の別れの物語になる。
ただ、ここで注意したいことがある。
物語として印象的だからといって、その場面が創作だったと決まるわけではない。
実際に起こった出来事が、あまりにも劇的だったために、長く語り継がれることもある。
反対に、実際の出来事に後から人物や会話が加えられることもある。
だからこそ、私たちは結論を急がない。
ただ、巴御前という人物が、義仲の物語の中で非常に重要な役割を持っていることは確かだろう。
彼女の存在によって、義仲の最後に、もう一つの人間の人生が重なっているのである。
ところが、実際に戦場で戦った女性の記録があった
ここまで調べると、巴御前の実在を疑う理由が少しずつ見えてくる。
しかし、だからといって、当時の女性が戦場で戦うこと自体が不可能だったと考えるのは早い。
実は、巴御前と近い時代に、武器を持って戦った女性の記録が残されている。
その名は、板額御前(はんがくごぜん)。
坂額御前とも記される。
彼女が活躍したのは、巴御前が義仲とともに戦ったとされる時期から十七年後、1201年のことである。
舞台は、越後国。
現在の新潟県胎内市周辺にあたる。
板額御前は、越後の有力な武士の一族である城氏に生まれた女性だった。
城氏は、もともと平氏と深い関係を持つ一族だったが、源平の争いを経て、その勢力を大きく変化させていた。
やがて鎌倉幕府に対する反乱が起こり、板額御前もその戦いに参加することになる。
この出来事は、『吾妻鏡』に記録されている。
つまり、巴御前の場合とは異なり、板額御前については、実際に戦闘に参加した女性として歴史書に名前が残っているのである。
では、彼女はどのように戦ったのだろう。
その記録を読むと、驚かされる。