巴御前は本当に実在したのか。八百年の時を超えて語り継がれた女武者の謎【2】
『平家物語』は、いつ、誰が書いたのだろう
巴御前が登場する『平家物語』について、もう少し詳しく見てみたい。
『平家物語』は、平氏一門の栄華と滅亡を中心に、源平の争乱を描いた軍記物語である。
物語の原形は十三世紀初め頃に成立したと考えられているが、作者が誰だったのかは明確ではない。
一人の人物が最初から最後まで完成させた書物というよりも、さまざまな人々が語り、書き写し、内容を加えながら伝えてきた作品と考えられている。
ここで注目したいのが、物語の伝わり方である。
現在の私たちは、本を読んだり、インターネットで文章を調べたりすることができる。
しかし、鎌倉時代の人々が物語に接する方法は、今とは大きく異なっていた。
文字を読める人は限られており、書物そのものも貴重だった。
そのような時代に、『平家物語』を広める役割を担った人々の一つが、琵琶法師だった。
琵琶を弾きながら、平氏の栄華や武士たちの戦い、悲しい別れの場面を語る。
人々は、その声に耳を傾けた。
目の前に戦場の景色が広がるように感じた人もいただろう。
親しい人を失った登場人物の悲しみに、自分の経験を重ねた人もいたかもしれない。
物語は、ただ出来事を知らせるためのものではなかった。
聞く人の心を動かし、忘れられない場面を残すものでもあった。
ここに、巴御前という人物を考える重要な手がかりがある。
義仲が最後の戦場で、わずかな家臣とともに敵軍に向かう。
そのそばに、一人の女性がいる。
しかも、ただ守られる女性ではない。
優れた武芸を持ち、最後には敵将を討ち取るほどの力を持っている。
そして義仲から逃げるよう命じられ、戦場を去っていく。
この場面を琵琶の音色とともに聞いた人々は、どのように感じただろう。
義仲の悲劇だけでなく、巴御前の行く末も気になったのではないだろうか。
その後、彼女はどうなったのだろう。
生き延びたのだろうか。
義仲を忘れずに暮らしたのだろうか。
そんな疑問が、聞いた人々の心に残ったのかもしれない。
そして、その疑問こそが、巴御前の物語をさらに広げていった可能性がある。
同じ『平家物語』なのに、巴御前の運命が違う
ここで、非常に興味深い事実がある。
『平家物語』には、内容の異なる複数の本文が存在する。
代表的なものに、覚一本と延慶本がある。
現在、学校の教科書などでも親しまれている『平家物語』の「木曾最期」は、覚一本の系統によるものが広く知られている。
そこでは、義仲が巴に戦場を去るよう命じ、巴は最後に敵将を討ち取ってから東国へ落ちていく。
私たちが第1回から読んできた巴御前の姿である。
ところが、延慶本では様子が異なる。
巴は乱戦の中で行方が分からなくなったと描かれている。
つまり、すべての『平家物語』で、巴が義仲の命令によって戦場を離れたと語られているわけではないのである。
これは、何を意味するのだろう。
ある本文では、義仲との別れが鮮やかに描かれる。
別の本文では、戦いの混乱の中で巴の姿が見えなくなる。
どちらが実際の出来事に近いのだろう。
それを判断するには、それぞれの本文がどのような過程で成立し、何をもとに書かれたのかを調べる必要がある。
成立が古いと思われる記述であっても、必ずしも事実に近いとは限らない。
反対に、後から加えられたように見える記述の中に、古い伝承が残っている可能性も否定できない。
ここで私たちが注目したいのは、巴御前の人物像が、最初から一つの完成した物語として伝わっていたわけではないということである。
彼女の運命は、物語を伝える人々の間で異なる形に描かれてきた。
では、その違いは、何から生まれたのだろう。
実際に戦場にいた人々から伝え聞いた話が、地域によって異なっていたのだろうか。
それとも、語り手が物語をより印象的にするため、巴と義仲の別れを加えたのだろうか。
答えは、まだ分からない。
しかし、ここには一つの重要なことがある。
私たちが知っている歴史上の人物像も、実際には長い年月をかけて形づくられてきたものが少なくない。
巴御前だけが特別なのではない。
源義経についても、弁慶についても、史実と後世の物語が複雑に重なっている。
人物が実際に何をしたのかという問題と、後の人々がその人物をどう描いたのかという問題。
私たちは、その両方を考える必要がある。