空海は、山の信仰をどう変えたのか【後編】
役小角と空海。
生きた時代は違います。
役小角は7世紀後半から8世紀初め。
空海は774年に生まれています。
二人が直接出会ったわけではありません。
それでも、この二人を並べると一本の流れが見えてきます。
役小角の時代には、すでに山へ入る人たちがいました。
山で祈る。
修行する。
薬草を知る。
水を探す。
峠を越える。
鉱物を探す。
山は、恐れる場所であると同時に、生きるための知識が集まる場所でもありました。
役小角は、その古い山の世界を象徴する人物です。
そして、その約100年後に空海が現れます。
空海もまた、山へ入っています。
ただし、空海は唐から密教という強い体系を持ち帰りました。
そこで山の世界は終わったのではありません。
むしろ逆です。
古くからあった山の祈りと、新しい密教が重なっていった。
役小角の時代にあった山岳修行。
山に暮らす人々の知識。
土地ごとの信仰。
そこへ空海の密教が入る。
そして後の時代には、それらがさらに混ざり合い、修験道や各地の山岳信仰へつながっていく。
私は、この流れを「役小角から空海へ宗教が引き継がれた」とだけ考えたくありません。
もっと大きなものが受け継がれたのではないでしょうか。
山を読む力です。
どこに水があるか。
どこを越えれば隣の土地へ行けるか。
どこに危険があるか。
どの植物が使えるか。
どの岩や山が特別なのか。
そうした知識は、一人の宗教者が作れるものではありません。
長い時間、その土地で暮らした人々の積み重ねです。
役小角という名前の後ろにも、
空海という名前の後ろにも、
多くの名も残らなかった人たちがいた。
だから各地には、
役小角が開いた山。
空海が水を出した井戸。
空海が開いた温泉。
空海が越えた峠。
そんな伝承が残っていったのかもしれません。
本当にすべて本人が行ったかどうかより、
なぜ、その土地の人々がその記憶を二人の名前に託したのか。
私はそこが重要