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アテルイとモレは、どこで死んだのか

2014.03.07

802年。

アテルイとモレは降伏しました。

その後、二人は坂上田村麻呂とともに都へ送られます。

そして『日本紀略』に残された記録では、河内国で処刑されたとされています。

しかし、ここで一つ問題が出てきます。

「河内国のどこなのか」です。

現在、大阪府枚方市には、「伝アテルイ・モレの塚」と呼ばれる場所があります。

枚方市も、これを市内の歴史資源として紹介しています。

さらに枚方市が刊行した地域史にも、「アテルイの処刑地」という項目が設けられています。

ただし、

ここに実際にアテルイとモレが葬られたことが、考古学的に確定しているわけではありません。

この「伝」という一文字が大切です。

伝承地です。

では、証明されていないから無意味なのでしょうか。

私はそうは思いません。

むしろ、ここから調べることが始まります。

なぜ枚方にこの伝承が残ったのか。

いつから残っているのか。

近くには何があるのか。

実際に行ってみると、

牧野公園のすぐそばには片埜神社があります。

枚方市によれば、牧野公園そのものも、かつて広かった片埜神社の神域の一部を戦後に公園化した場所です。

さらに周辺には、

牧野車塚古墳など古墳時代の遺跡もあります。

古社。

古墳。

塚。

そして処刑伝承。

もちろん、これを全部一直線につないで、「だからここが処刑地だった」とは言えません。

でも、

現地へ行ったら私は全部見ます。

土地の高さ。

昔の道。

川との位置。

神社との距離。

古墳との位置関係。

塚の形。

供物が残っているか。

誰が手を合わせているか。

地元の人は何と呼んでいるか。

そこまで見て、もう一度文献へ戻ります。

歴史は時々、紙には残らなかったものを、土地の方が覚えていることがあります。

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