鹿島と香取は、なぜ水を挟んで向かい合うのか
2014.02.15
鹿島神宮と香取神宮。
現在の地図を見ると、茨城県と千葉県に分かれています。
けれど古代の景色を考えると、その見え方は変わります。
二つの神宮の間には、現在よりはるかに広い水域がありました。
霞ヶ浦、北浦、河川などがつながる広大な内海です。
鹿嶋市も、この地域を水陸交通の要衝だったと説明しています。『常陸国風土記』には、鹿島の神へ舟を奉納した伝承も残ります。古代の集落や古墳も、この水域沿岸に集中しています。
ここで、現代人の感覚を一度捨ててみます。
道路も鉄道もありません。
大量の荷物を運ぶなら、陸路より船の方がはるかに有利です。
人も、食料も、武器も、情報も、船で動く。
そう考えると、鹿島と香取が巨大な水域を挟んで存在する意味が少し違って見えてきます。
二社は古代から極めて高い位置を占めました。『延喜式』で「神宮」と称されたのは伊勢・鹿島・香取の三社だけだったことも知られています。
だからといって、「鹿島・香取こそ日高見国の首都だった」と断定する証拠はありません。
しかしここが、ただの地方の神社ではなかったことも確かです。
水上交通。
祭祀。
東国。
そして、そのさらに先にある東北。
古代の人が船の上から鹿島や香取を眺めたとき、そこは単なる神社ではなく、
「ここから先は別の世界だ」
と感じる境界だったのかもしれません。
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