東北は、本当に最初から「大和の国」だったのか
2014.02.16
日本地図を見ると、北海道を除く本州は一続きです。
だから無意識に、古代からずっと一つの国だったように感じてしまいます。
けれど歴史を時間軸で見ると、そう単純ではありません。
東北歴史博物館は、7世紀後半に中央集権的な律令国家づくりが進められていた一方、その支配は東北北部には及んでいなかったと説明しています。盛岡市も、現在の盛岡周辺について、当時は律令国家の外側にあったと明記しています。
つまり、
「日本の地方が反乱した」
という図だけではありません。
まだ律令国家の支配に完全には入っていない地域へ、その支配領域が北へ伸びていった。
そう見ることもできます。
そこに暮らしていた人々にも当然、生活があります。
家があり、畑があり、家族がいる。
奥州市の発掘資料では、胆沢城が築かれる直前まで、この地域の人々が古墳時代以来の生活を続けていた様子が確認されています。
そこへ新しい国家制度がやって来る。
税。
行政。
城柵。
兵士。
移民。
都から見れば「国家の拡大」。
そこに暮らしていた人から見れば、
昨日までとは違う世界が、自分たちの土地へ近づいてくる。
歴史を見る位置を少し変えるだけで、同じ出来事の景色はまったく違って見えてきます。
新着記事
人気記事
カテゴリー
アーカイブ