「蝦夷」と呼ばれた人たちは、本当に野蛮だったのか
2014.02.17
「蝦夷」。
漢字だけを見ると、いかにも異民族や未開人を表しているように感じます。
しかし、それは彼ら自身が名乗った名前なのでしょうか。
東北歴史博物館は、律令国家が東北の人々を「野蛮な民族という意味をこめてエミシと呼んだ」と説明しています。
一方、発掘調査から見える彼らの生活は、それほど単純ではありません。
農業を営み、集落をつくり、鉄や須恵器などをめぐって広い地域と交流していました。墓制などには律令国家側とは異なる独自性も見られます。
つまり「蝦夷」という一語を見ただけでは、そこに暮らしていた人間の姿までは分からない。
これは歴史を見るうえで、とても大切なことだと思います。
記録を残したのは主に都側です。
都から見て従わない人。
都から見て外側にいる人。
都から見て討つべき人。
その人たちに名前を付けるのも、記録を書くのも都側でした。
けれど山の向こうでは、誰かが子どもを育てていたはずです。
今年の米の出来を心配し、冬に備え、祭りの日には皆で集まったでしょう。
「蝦夷」という二文字の向こう側には、名前を記録されなかった無数の普通の人間がいました。
歴史を読むとき、本当に見たいのは、もしかするとその人たちなのかもしれません。
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