日高見国は、なぜ茨城にも現れるのか
2014.02.14
日高見国という名前から、東北を思い浮かべる人は多いと思います。
実際、『日本書紀』の日高見国と蝦夷を結び付け、東北地方との関係を考える見方は古くからあります。
ところが、ここで少し不思議なことが起こります。
『常陸国風土記』に関係する逸文には、現在の茨城県南部にあたる信太郡について、
「この地は、もと日高見国であった」
という趣旨の記録が伝わっています。
現在残る『常陸国風土記』本文そのものではなく、後世の文献に引用されて残った「逸文」である点には注意が必要です。しかし、校訂版でも「信太郡―日高見国」として逸文が収録されています。
信太郡は、現在の霞ヶ浦南部周辺。
水の多い土地です。
霞ヶ浦、北浦、かつての内海、川。
現代の道路地図を頭から消して古地形を見ると、この地域の姿はずいぶん変わります。
陸地によって分断された世界ではない。
水によってつながった世界です。
もし「日高見」が一つの都を持つ固定された国名ではなく、東方の特定の文化圏や人々を表す呼び名でもあったとすれば、常陸と東北の両方にその記憶が残っていても不思議ではありません。
ただし、ここから直ちに「茨城から東北まで一つの日高見国家だった」とは言えません。
それでも、点は残っています。
常陸の信太。
東北の蝦夷。
そして、その間をつなぐ海と川。
地図に点を打っていくと、日高見国は突然、遠い神話の国ではなくなってきます。
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