神武東征は征服戦争だったのか
神武東征は征服戦争だったのか
『古事記』『日本書紀』では、神武天皇が日向を出発し、大和を目指して東へ進んだ物語が描かれています。
橿原市も、記紀に基づく伝承として、神武が大和へ入り、長髄彦との戦いなどを経て橿原で即位したと紹介しています。
ここで考えてみたいのは、「東征」という言葉から、そのまま大軍による征服戦争を想像してよいのかということです。
もし本当に、ある集団が遠く離れた土地から移動したのであれば、その中には戦う人だけがいたとは考えにくいでしょう。
食料を確保する人。
道を知る人。
舟を扱う人。
農耕の知識を持つ人。
金属や木を加工する人。
家族もいたかもしれません。
そして移動は、一度に目的地まで進むとは限りません。
途中で暮らし始める人もいる。
その土地の人と一緒になる人もいる。
さらに先へ進む人もいる。
数十年、何世代にもわたって続いた移動が、後世の物語では一人の人物による「東征」としてまとめられた可能性も考えられます。
長髄彦との関係も同じです。
すでに大和周辺で暮らしている人たちからすれば、新しい集団が入ってくれば警戒するでしょう。
土地があります。
水があります。
田畑があります。
そこには、それまで築いてきた暮らしがあります。
衝突が起きても不思議ではありません。
しかし、衝突があったからといって、すべてが征服戦争だったとは限りません。
交渉もあったかもしれない。
技術の交換もあったかもしれない。
婚姻によって一緒になった集団もあったかもしれない。
一方で、折り合えず別の土地へ移った人たちもいたでしょう。
記紀には戦いとして残っている。
しかし、その背後にあった人々の移動や地域同士の関係まで、物語だけですべて分かるわけではありません。
神武東征を、一人の王が軍隊を率いて日本を征服した物語としてだけ見るのではなく、
新しい土地を求めて移動した人々と、すでにそこで暮らしていた人々が、衝突したり、受け入れたり、混ざったりしながら新しい社会を作っていった記憶として見ることはできないでしょうか。
そう考えると、神武東征は「誰が勝ったか」という話から、「人々がどう移動し、どう一緒に暮らすようになったのか」という話へ変わってきます。