神倉神社の538段|諦めかけた私を動かした小さな参拝者たち
こんな階段、聞いてない。
熊野速玉大社を参拝したとき、近くに神倉神社という神社があることを知りました。
熊野の神々が最初に降臨したと伝えられる、古い聖地だそうです。
御神体は「ゴトビキ岩」と呼ばれる巨大な岩。
それはぜひ参拝してみたい。
さっそく向かってみました。
ところが、神倉神社の鳥居をくぐった瞬間、目の前の光景に驚きました。
とてつもなく急な石段が、山の上へ向かって続いていたのです。

階段というより、石を積み上げた急斜面です。
一段一段の高さも形も不揃いで、どこに足を置けばよいのか考えながら登らなければなりません。
仕方がない。
ここまで来たのだから、登ってみよう。
そう思って足を踏み出したものの、登るほどに勾配の厳しさを実感することになりました。

振り返って下を見てみると、思わず足がすくみます。
怖い。
本当に怖い。
これ、帰りはどうやって降りるんやろ。
そんな心配まで頭をよぎりました。
ハイヒールで、この石段を?

登っている途中、若い男女のカップルが下りてきました。
ところが、女性の足元を見てびっくり。
なんと、ハイヒールだったのです。
いやいやいや。
なんでこんなところに連れて来るねん!
ハイヒールで登る場所と違うやろ!
もちろん、二人に声をかけたわけではありません。
心の中で思っただけです。
女性は相当怖かったのでしょう。
腰を低くして、座るような格好になりながら、一段ずつ慎重に降りていました。
かなり怒っている様子でした。
そりゃ、怒るわな。
この石段をハイヒールで降りるなんて、考えただけでも恐ろしい。
それにしても、あの二人、その後どうなったのでしょう。
無事に仲直りできたのかな。
二人の関係が少し心配になりました。
そんな余計なことを考えながら、私はさらに登っていきました。
源頼朝が寄進したと伝わる538段

神倉神社の石段は、全部で538段あります。
自然石を積み上げたこの石段は「鎌倉積み」と呼ばれ、建久4年(1193年)に源頼朝が寄進したと伝えられています。
鎌倉幕府を開いた、あの源頼朝です。
ただし、現在の石段がすべて当時のまま残っているという意味ではなく、その由来が伝承として受け継がれているということです。
石段の一つひとつは形が違い、平らに整えられた現代の階段とはまったく異なります。
それでも、人々は長い年月、この道を登って神倉神社へ参拝してきました。
考えてみれば、重機もなかった時代に、これほどの急斜面へ石を運び、積み上げること自体が大仕事だったはずです。
どうやって資材を運んだのだろう。
どんな方法で石を据えたのだろう。
ものづくりに携わる身としては、そんなことも気になります。
しかし、この日の私は、昔の人々の技術をじっくり考察できるほど余裕がありませんでした。
それどころではなかったのです。
もう、あかん。

登っていくと、さらに厳しい勾配の石段が現れました。
途中では、登ることを諦めて引き返していく人たちもいました。
実は、私は喘息の持病があります。
急な坂道を登ると、呼吸が苦しくなることがあります。
この日も、石段を登り続けるうちに息が上がってきました。
ふうふう。
はあはあ。
何度も足を止めて休憩します。
足にも力が入らなくなってきました。
まるで、生まれたての小鹿です。
膝がガクガクと震えて、思うように足が動きません。
まだ先がある。
ここからさらに登らなければならない。
もう、あかん。
そう思いました。
無理をして、ここで倒れてしまっては大変です。
残念だけど、今日は諦めよう。
私は、引き返すことにしました。
下から聞こえてきた、楽しそうな声
ちょうどUターンして下りようとした、そのときでした。
下の方から、子供たちの楽しそうな声が聞こえてきました。
何だろう。
見ると、小学生くらいの子供たちが何人か、石段を登ってきます。
どう見ても、低学年くらいの小さな子供たちです。
しかも、友達同士で会話に夢中になりながら、軽い足取りで登ってくるのです。
えっ?
この階段を?
さっきから私は、息を切らして何度も休んでいます。
足はガクガク。
もう限界だと思って引き返そうとしているところでした。
それなのに、子供たちは楽しそうにおしゃべりしながら、どんどん登っていきます。
すごいな、この子たち。
そして、ふと思いました。
これは、いかん。
小さな子供たちがあんなに元気に登っているのに、ここで諦めるのは何だか悔しい。
もう少しだけ、頑張ってみよう。
私は、再びUターンしました。
今度は山の上へ向かって。
小学生たちに負けていられない

もちろん、気持ちが変わったからといって、急に体力が回復するわけではありません。
ふうふう。
はあはあ。
相変わらず苦しい。
足も震えています。
途中で何度も立ち止まり、休憩しながら少しずつ登っていきました。
一段登る。
また一段。
もう少し。
あと少し。
子供たちは、ずっと先へ進んでいきました。
私の方は、まったく追いつけません。
それでも、何とか登り続けました。
そして、ついに。
神倉神社の社殿がある場所まで、たどり着くことができたのです。

巨大なゴトビキ岩
目の前に現れたのは、想像を超える大きな岩でした。
神倉神社の御神体「ゴトビキ岩」です。
「ゴトビキ」とは、熊野地方の言葉でヒキガエルのこと。
その形がヒキガエルに似ていることから、こう呼ばれるようになったといわれています。
巨大な岩が、山の斜面に鎮座しています。
そのすぐそばに社殿が建てられていました。
神倉神社は、熊野速玉大社の摂社です。
熊野の神々が最初に降臨したと伝えられる場所であり、古くから神聖な岩として信仰されてきました。
『日本書紀』の神武天皇紀には、神武天皇が熊野の「天磐盾(あまのいわたて)」に登ったという記述があります。
この天磐盾は、ゴトビキ岩をいただく神倉山の険しい岩場と結びつけられています。
はるか昔の人々も、山の上にあるこの巨大な岩を見上げていたのでしょう。
社殿が建てられるよりも前から、自然の岩そのものが信仰の対象になっていた。
そう考えると、不思議な場所です。
なぜ、この岩が特別な存在として大切にされてきたのか。
あの険しい石段を登ってきたからこそ、岩の圧倒的な存在感が強く印象に残りました。
ところが、あの子供たちは……

ようやく登り切って、ほっとしたところで、あの小学生たちの姿が目に入りました。
大きな岩のある階段に、みんなで腰掛けていたのです。
何をしているのかと思えば、楽しそうにおしゃべりしています。
会話が盛り上がっているようでした。
まるで、公園のベンチに座っているような様子です。
いやいや。
ここ、ものすごく高い場所やで。
あんな急な階段を登ってきたばかりやろ。
それなのに、まったく平気そうなのです。
私は、やっとの思いでここまで登ってきました。
呼吸は苦しいし、足もガクガク。
それなのに、子供たちは元気いっぱい。
本当にすごい。
感心するばかりでした。
でも、考えてみれば、あの子たちがいなければ、私はここに立っていなかったのです。
御燈祭りでは、この石段を駆け下りる

神倉神社には、もう一つ驚くべき伝統があります。
毎年2月6日に行われる「御燈祭り(おとうまつり)」です。
白装束に荒縄を締めた男たちが、火のついた松明を手に、神倉神社から急峻な石段を駆け下ります。
その人数は、約2,000人に及ぶとされています。
夜の山を連なって下る松明の炎は、まるで火の滝のように見えるそうです。
国の重要無形民俗文化財にも指定されている、熊野を代表する伝統行事です。
あの石段を?
しかも夜に?
松明を持って?
実際に登った私には、にわかに信じられませんでした。

ただ歩いて登るだけでも、これほど大変だったのです。
それを、大勢の人々が松明を持って駆け下りる。
地域の人々が長い年月をかけて受け継いできた信仰の力を感じます。
一度は、その光景も見てみたいと思いました。
もっとも、参加して駆け下りるなんて、私には到底できそうにありません。
あの日、子供たちが教えてくれたこと

神倉神社には、その後も何度か参拝しています。
不思議なことに、二度目からは、ちゃんと社殿まで登ることができました。
もちろん、急な石段が楽になったわけではありません。
それでも、最初のときのように途中で諦めることはありませんでした。
一度登り切った経験が、自分の中に残っていたのでしょう。
もし、あの日、あの小学生たちに出会っていなかったら。
私は途中で引き返し、ゴトビキ岩を見ることもなかったかもしれません。

そして、あんなに大変な場所には、もう二度と行こうと思わなかったでしょう。
子供たちは、私を励ましたわけではありません。
「頑張って」と声をかけてくれたわけでもありません。
ただ、友達と楽しそうに話しながら、石段を登っていただけです。
それだけなのに、私はもう一度登ろうと思いました。
そして、登り切ることができました。
あの子たちは、自分たちが何をしたのか、今でも知らないと思います。
それでも、私にとっては、忘れられない出会いになりました。

神倉神社で出会った、小さな先輩たち
熊野の神々が降臨したと伝えられる神倉神社。
巨大なゴトビキ岩。
源頼朝の寄進と伝わる538段の石段。
そして、長い歴史を持つ御燈祭り。
この場所には、古代から続く信仰と、人々が守り続けてきた歴史があります。
でも、私が神倉神社を思い出すとき、真っ先に浮かんでくるのは、あの小学生たちの姿です。

急な石段を軽やかに登り、山の上で楽しそうにおしゃべりしていた子供たち。
私は、あの子たちに感謝しています。
そして、心から尊敬しています。
年齢なんて関係ありませんね。
自分よりずっと小さな子供たちから、大切なことを教えてもらうこともあるのです。
あの日、諦めて引き返そうとしていた私の背中を、何も言わずに押してくれた小さな参拝者たち。
神倉神社で私が出会ったのは、巨大なゴトビキ岩と、忘れられない小さな先輩たちでした。