麻賀多神社は「神社」より先に「潟」があったのではないか
2014.04.04
麻賀多神社という名前を見ていると、どうしても「麻賀多」という神社名そのものに目が行きます。
でも、この名前の成り立ちを考えると、少し違う景色が見えてきます。
印旛沼周辺は、今よりずっと水の多い土地でした。現在は陸地になっている場所の一部にも、昔は潟や入り江が広がっていました。台方の麻賀多神社は、その水域を見下ろすような台地側にあります。
ここで「麻賀多」が、もともと「真潟」あるいは潟そのものに関係する名前だったのではないか、という考え方があります。
もしそうなら、話の順番は変わります。
まず神社があり、その周りに人が集まったのではない。
最初に潟があった。水辺で暮らす人がいた。魚を獲り、船を使い、物を運び、洪水や風を恐れながら生きていた。その暮らしの中から、水への畏れや感謝が生まれ、祭祀の場所が育っていった。
そう考える方が、古代の人間の生活としては自然です。
現在の神社を見ると、私たちは社殿や鳥居を中心に考えてしまいます。
でも社殿は後から何度も建て替えられます。
名前も変化します。
祭神の説明も、時代によって整理されます。
一方で、土地の高さや水の流れは、もっと長い時間を残します。
だから麻賀多神社を見る時は、「何年創建か」だけではなく、「なぜこの水辺に、この祭祀が残ったのか」を考えた方が面白い。
麻賀多神社は、潟を見て暮らした人々の記憶から始まった。
そんな可能性を考えると、この神社の印象はかなり変わります。
神様の名前より先に、人間の暮らしが見えてくるからです。
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