鳥居河岸。麻賀多神社へは、船で参ったのか
台方の麻賀多神社から印旛沼の方へ目を向けると、「鳥居河岸」という名前が残っています。
この名前は面白いです。
鳥居と河岸。
祭祀と船着場が、一つの地名の中に入っています。
麻賀多神社の祭礼では、現在でも神社だけでなく鳥居河岸でも獅子舞が奉納されています。これは、鳥居河岸が単なる昔の港の名前ではなく、神社の祭祀と結び付いた場所として記憶されてきたことを感じさせます。
昔の印旛沼は、水運の道でした。
道路が十分に整っていない時代なら、船で移動する方が便利な場所も多かったでしょう。人だけでなく、米や魚、塩、木材、生活道具まで、水を使って動かせます。
では麻賀多神社への参詣も、現在のように道路から歩いて来るだけだったのでしょうか。
むしろ印旛沼を船で進み、鳥居河岸へ着き、そこから高台の神社へ向かう人々がいたと考える方が、水辺の土地にはよく似合います。
船を降りる。
荷物を置く。
水辺から坂を上がる。
木々の中へ入る。
そして神を祀る場所へ着く。
そういう順番です。
ここで「鳥居」という言葉も重要です。
鳥居は神社の門ですが、水から来た人間にとっては「ここから神域へ入る」という最初の印だったかもしれません。
香取神宮にも川岸の鳥居があります。
鹿島にも大船津があります。
そして麻賀多には鳥居河岸がある。
別々の神社なのに、水辺から祭祀の中心へ向かう構造が重なってきます。
これは偶然なのか。
それとも、古代の大きな祭祀拠点には、水上交通との結び付きが普通に存在したのでしょうか。
神社を陸からだけ見ると、この問いは出てきません。
水の側から眺めると、神社までの「道」そのものが変わって見えてきます。