伊都許利命の墓は、何を残しているのか
2014.04.06
船形の麻賀多神社奥津宮のそばには、伊都許利命の墳墓と伝えられる古墳があります。
伊都許利命は、印旛国造として伝えられている人物です。
この墓が本当に本人の墓なのか。
そこは分かりません。
でも、私はそれだけで終わらせたくありません。
大事なのは、「なぜここに伊都許利命の墓という記憶が残ったのか」です。
国造という存在は、大和側から派遣された単なる地方公務員のように考えると分かりにくくなります。
地域にはもともと有力者がいて、その地域をまとめていた人々がいました。大和政権が勢力を広げる過程では、そうした在地有力者と関係を結び、国造という形で地域支配の仕組みに取り込んでいったと考えられています。
つまり伊都許利命という伝承が残る背景には、
印旛には印旛をまとめる人々がいた。
という記憶があるのかもしれません。
しかもその周辺には、古墳や古代集落の痕跡が残ります。
大きな集落があり、人が暮らしていた。
有力者がいた。
墓を造った。
祭祀を行った。
水路を利用した。
そうした地域社会があって、その後に大和との政治関係が強くなっていった。
この順番で考えると、古代の東国は最初から「中央の地方」だったわけではありません。
地域社会が先にあった。
そこへ別の政治秩序が重なっていった。
麻賀多神社の周辺は、その変化を考える小さな模型のようにも見えます。
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