縄文文化は弥生文化に消されたのか
縄文文化は弥生文化に消されたのか
歴史の区分だけを見ると、
縄文時代が終わり、その次に弥生時代が始まる。
そんなふうに見えます。
すると、縄文文化が終わり、代わりに弥生文化が始まったようにも感じます。
でも実際の人々の暮らしは、そんなにきれいに切り替わったのでしょうか。
国立歴史民俗博物館は、水田稲作が紀元前10世紀ごろに九州北部で始まり、列島各地へ
広がるまで約600年かかったと説明しています。
しかも、稲作を受け入れた地域と、受け入れなかった地域が並存していました。
つまり、日本列島全体が一斉に弥生化したわけではありません。
ある地域では水田稲作を始める。
別の地域では縄文的な生活を続ける。
さらに別の地域では、新しい農耕を取り入れながら、縄文以来の祭祀や道具を残す。
地域ごとに違う選択がありました。
国立歴史民俗博物館の展示では、中部地方の例として、アワやキビなどの畑作を
取り入れながら、打製石斧や石棒、土偶など縄文的な要素が続いていたことも紹介されています。
これは面白いと思います。
新しい技術が来たからといって、それまでの文化を全部捨てる必要はありません。
便利なものは使う。
必要なものは残す。
合わないものは使わない。
土地や暮らしに合わせて選べばいい。
人間は、そうやって新しいものを受け入れるのではないでしょうか。
水田稲作が便利なら取り入れる。
鉄の道具が使えるなら使う。
でも、山や森との付き合い方。
祭り。
食べ物。
祖先への感覚。
地域の習慣。
そうしたものまで全部一度に消える理由はありません。
むしろ新しい技術が入った後も、長く残るものの方が多かった可能性があります。
国立歴史民俗博物館の研究者も、弥生文化を縄文系文化と大陸系文化が混じり
合って成立したものとして説明しています。
そう考えると、
「縄文が終わって弥生になった」
という言い方そのものを、一度疑ってみてもいいと思います。
時代区分としては便利です。
でも実際の人々の生活では、
昨日まで縄文人だった人が、翌日から弥生人になるわけではありません。
親から教わった暮らしがあります。
土地の知識があります。
祭りがあります。
そこへ新しい技術が加わる。
その子どもたちは、両方を普通の暮らしとして受け継いでいく。
縄文文化は弥生文化によって消されたのではなく、
新しく入ってきた文化と混ざりながら、その後の日本文化の中へ形を変えて残って
いったのではないでしょうか。