技術者はなぜ祭祀まで担ったのか
技術者と祭祀。
今の感覚では、まったく別の仕事に見えます。
ものを作る人と、祈りや祭りを行う人。
でも古代では、本当にそこまできれいに分かれていたのでしょうか。
文化庁の国指定文化財等データベースでは、福井県の下屋敷遺跡から、玉作工房に
関係する多くの鉄製工具とともに、小形の銅鐸形土製品のような祭祀具も出土している
ことが紹介されています。
京都府の奈具岡遺跡でも、弥生時代の大規模な玉作工房が確認され、石製品、ガラス製品、
鉄製工具、鞴羽口など、複数の技術が同じ場所で使われていました。
ここから何が見えるでしょう。
玉を作る。
鉄の道具を作る。
ガラスを加工する。
それらは単なる日用品ではありません。
勾玉や管玉のようなものは、身につける装飾品でもあり、祭祀や特別な場でも使われます。
つまり、作る人は「形を作る」だけではなく、その物が何のために使われるのかも知っていたはずです。
しかも、ものづくりには火や水が欠かせません。
火を強くしすぎれば失敗する。
弱すぎても駄目。
水も必要です。
材料も自然から取ります。
山。
石。
木。
土。
火。
水。
古代の技術者は、毎日そうした自然と直接向き合って仕事をしていました。
そうすると、ものづくりと祈りの境目も、今ほどはっきりしていなかった可能性があります。
今日はうまく焼けるように願う。
火が暴れないように願う。
良い材料が取れることに感謝する。
完成したものを大切な儀式に使う。
そこまで含めて一つの仕事だったのではないでしょうか。
さらに、技術を持った人は地域の中でも特別な存在だったはずです。
誰でもできる仕事ではありません。
難しいことが起きた時に頼られる。
新しい方法を知っている。
外の地域ともつながっている。
その人が、祭りや共同体の重要な場面でも中心的な役割を担ったとしても
不思議ではありません。
技術者は「ものを作る人」、祭祀者は「祈る人」と最初から分かれていたのではなく、
古代では、自然を読み、ものを作り、地域の大切な場面にも関わる人が、同じ人物や
同じ集団の中にいた可能性もあるのではないでしょうか。