陶邑は、なぜ巨大なものづくりの町になったのか
2013.07.24
大阪府堺市には、陶邑窯跡群があります。
ここでは古墳時代以降、大規模に須恵器が作られました。
須恵器はロクロを使って形を作り、高温で焼く焼き物です。
堺市の資料でも、陶邑窯跡群から多数の須恵器が出土し、周辺には須恵器生産に関わった集落や工人の墓も確認されていると説明されています。
一つの器を作るだけでも、多くの条件が必要です。
粘土がある。
水がある。
薪になる木がある。
窯を作れる。
火を扱える。
ロクロを扱える。
そして完成した器を運ぶ道がある。
偶然、そこに職人が一人いただけでは巨大な生産地にはなりません。
人と材料と技術と物流がそろって、初めて大きなものづくりの地域になります。
そして、この陶邑という地名は『日本書紀』の大田田根子の物語にも登場します。
ただし、大田田根子の時代と、陶邑窯跡群で須恵器生産が本格化する時代を、そのまま同じ時代として重ねることはできません。
それでも気になります。
なぜこの土地には、人が集まり、技術が集まり、ものづくりが根づいたのでしょうか。
技術は突然生まれません。
人から人へ伝わります。
移動してきた人が技術を持ち込み、その土地の人が覚え、また次の人へ伝える。
陶邑とは、一つの工場ではありません。
何世代もの人々が技術を受け継いだ巨大なものづくりの地域だったのではないでしょうか。
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