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鎧を脱いだ巴御前。その後の人生と、91歳まで生きたという伝説【4】

2015.02.22

近江国に残された、名もなき尼の物語

巴御前の晩年については、越中とは異なる伝承もある。

現在の滋賀県大津市にある義仲寺に関係する物語である。

義仲寺は、木曾義仲の墓所として知られる寺院である。

義仲が討たれた近江国の粟津に近い場所にあり、後世には松尾芭蕉の墓も置かれた。

この寺には、巴御前が義仲の菩提を弔うため、草庵を結んだという伝承が残されている。

一人の尼が、義仲の墓所の近くで静かに暮らしていた。

人々が名前を尋ねても、自分は名もない者だと答えた。

その尼が、実は巴御前だったというのである。

義仲寺には、無名庵という名前も伝えられている。

この伝承を読むと、越中で91歳まで生きたという物語とは、また違う巴御前の姿が見えてくる。

かつて戦場で名を知られた女武者が、晩年には名前を名乗らず、静かに義仲を弔っていたという。

もし本当にそのような人生を歩んだのなら、巴はなぜ自分の名前を隠そうとしたのだろう。

過去の戦いから離れたかったのだろうか。

それとも、自分の人生よりも、亡くなった義仲を弔うことを大切にしていたのだろうか。

あるいは、そもそも名もなき尼と巴御前を結びつけたのは、後世の人々だったのだろうか。

義仲寺の創建や発展の過程には不明な部分があり、この伝承も史実として確定したものではない。

それでも、ここには印象的な対照がある。

戦場では、巴御前という名前を名乗ることに意味があった。

しかし、晩年の伝承では、その名前を捨てようとする姿が描かれている。

人間は、人生のどの時期にも同じ役割を持ち続けるわけではない。

若い頃には戦うことが必要だった人が、年齢を重ねる中で、別の生き方を選ぶこともある。

過去に積み重ねてきた経験を、まったく違う形で生かすこともあるだろう。

巴御前の物語には、そうした人生の変化まで描かれているように思える。

相模国にも残る、もう一つの人生

さらに、神奈川県小田原市にも巴御前の伝承が残されている。

小田原市栢山の善栄寺である。

善栄寺は、巴御前が1215年に創建したと伝えられている。

義仲と和田義盛の菩提を弔うためだったという。

境内には、巴御前と木曾義仲に関係する五輪塔もある。

この伝承では、巴は和田合戦の後、遠い越中や近江へ向かう前に、相模の地で弔いの生活を始めたことになる。

ここで興味深いのは、複数の土地の伝承に共通するものがあることである。

越中では、出家して亡くなった人々の菩提を弔ったとされる。

近江でも、義仲の墓所の近くで弔いを続けたとされる。

そして相模でも、義仲と義盛の菩提を弔う寺を建てたという伝承が残っている。

場所は違う。

年代も、人物との関係も、細部では一致しない。

しかし、そこに描かれている巴御前の姿には、共通するものがある。

それは、戦う女性から、弔う女性への変化である。

なぜ、各地の人々は巴御前の後半生を、このように語り継いできたのだろう。

実際に巴が出家していたという記憶が、複数の土地に広がったのだろうか。

それとも、勇敢な女武者が最後には仏門に入り、亡くなった人々を供養するという人生が、後世の人々にとって納得しやすい物語だったのだろうか。

ここも、今の段階では決めることができない。

ただし、相模・近江・越中に伝承があるからといって、巴がそのすべてを訪れたことになるわけではない。

複数の伝承をつなぎ合わせると、一人の女性の長い旅を描くことはできる。

しかし、それが実際の人生だったと確認できなければ、私たちは慎重でなければならない。

歴史の面白さは、空白を好きな物語で埋めることではない。

残された手がかりが何を伝え、何を伝えていないのかを考えるところにある。

巴御前は、何を守ろうとしていたのだろう

ここまで、巴御前の後半生に残るさまざまな伝承を追いかけてきた。

義仲の最後を伝えるために故郷へ戻ったという話。

和田義盛の妻となり、新たな人生を送ったという話。

朝比奈義秀の母になったという話。

越中へ移り、91歳まで生きたという話。

そして、相模や近江の地で、亡くなった人々の菩提を弔ったという話。

それぞれの物語には、確かな記録によって裏づけられていない部分がある。

中には、年代の矛盾によって、そのままでは成立しない話もある。

それでも、これらの伝承をたどることで、一人の女性が後世の人々にどのように受け止められてきたのかが見えてくる。

巴御前は、戦場で強かったからこそ、人々の記憶に残ったのだろう。

しかし、それだけではなかったのかもしれない。

彼女が生き延びたという物語が、人々にその後の人生を想像させたのではないだろうか。

戦場で命を落とした義仲には、その先の人生がない。

今井兼平にも、樋口兼光にも、同じように悲劇的な結末が語られている。

一方、巴御前は生き延びた。

だからこそ、その後の人生を描く余地があった。

どこで暮らし、誰と出会い、どんな思いで年齢を重ねていったのか。

その空白に、後世の人々がさまざまな物語を重ねていった可能性がある。

そして、その物語の多くで、巴は亡くなった人々を忘れずに生き続ける女性として描かれている。

もし巴が本当にそのような人生を歩んだのなら、彼女にとって大切だったのは、過去の栄光ではなかったのかもしれない。

ともに生きてきた人々の記憶を、次の時代へつないでいくことだったのではないだろうか。

私たちがこれまで考えてきた「運命共同体」は、単に同じ目的を持って行動する集団ではない。

困難なときに助け合い、それぞれが異なる役割を果たしながら、ともに生きていく人々の結びつきである。

しかし、共同体は永遠に続くとは限らない。

時代が変われば、離れ離れになることもある。

政治的な対立によって、昨日までの仲間が敵になることもある。

そして、ある日突然、自分だけが生き残ることもある。

そのとき、人間はどうするのだろう。

失ったものを抱えたまま、過去の中だけで生きるのだろうか。

それとも、過去を忘れずに、新しい環境で別の人生を築いていくのだろうか。

巴御前の伝承には、そんな問いが隠されているように思える。

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