鎧を脱いだ巴御前。その後の人生と、91歳まで生きたという伝説【1】
鎧を脱いだ巴御前。その後の人生と、91歳まで生きたという伝説
戦場で生き残った一人の女性。彼女を待っていたのは自由だったのか、それとも新たな運命だったのか。
1184年、近江国の粟津。
木曾義仲の軍勢は、源頼朝が派遣した軍勢との戦いに敗れ、壊滅的な状況に追い込まれていた。
昨日までともに戦っていた仲間たちは、次々と姿を消していく。
義仲のそばには、わずかな家臣しか残っていなかった。
そして、その中に巴御前がいた。
『平家物語』によれば、義仲は巴に戦場を離れるよう命じたという。
巴はすぐには従わなかった。
最後まで義仲と行動をともにしようとした彼女は、敵の武将を討ち取った後、ようやく武具を脱ぎ捨てて東国へ向かったと伝えられている。
ここで、『平家物語』に描かれた巴御前の戦いは終わる。
しかし、一人の人間の人生が、ここで終わったとは限らない。
むしろ、生き延びたのであれば、本当に難しい人生は、その後に待っていたのかもしれない。
義仲という主君を失い、ともに育ったと伝えられる仲間たちも失った。
自分の居場所だった共同体は、すでに崩れてしまっている。
そのような状況で、一人の女性はどこへ向かい、誰を頼り、どのように生きていったのだろうか。
巴御前のその後については、驚くほど多くの伝承が残されている。
和田義盛の妻になったという話。
豪勇で知られる朝比奈義秀を産んだという話。
二度にわたって大切な人々を失い、最後には出家したという話。
そして、91歳まで生きたという伝説まである。
これらは、どこまで本当なのだろう。
今回は、戦場から姿を消した巴御前の人生を追いかけながら、記録と伝承の間に残された謎を考えてみたい。
義仲は、なぜ巴御前を生き延びさせようとしたのか
『平家物語』では、義仲が巴を逃がそうとした理由として、最期の戦いに女性を連れていたと人々に言われることを気にした、という趣旨の言葉が記されている。
この言葉をそのまま受け取れば、武将としての体面を気にしたという説明になる。
しかし、『源平盛衰記』では、もう少し違った場面が描かれている。
義仲は巴に、信濃へ帰り、故郷に残した妻子や人々へ自分の最期を伝えるよう命じたというのである。
もし、このようなやり取りが実際にあったとすれば、義仲は単に巴の命を救おうとしただけではなかったのかもしれない。
自分が死んだ後に、その事実を故郷へ伝える人間が必要だった。
生き延びた人間には、亡くなった人間の最後を伝える役割がある。
そう考えていた可能性もある。
もっとも、義仲が実際にそのような言葉を残したと確かめられる同時代の記録はない。
軍記物語には、登場人物の最期を印象的に描くために、会話や行動が整えられている場合がある。
それでも、二つの物語の違いは興味深い。
『平家物語』では、義仲と巴の別れそのものが強く印象に残る。
一方、『源平盛衰記』では、巴が生き延びることに、もう一つの役割が与えられている。
残された人々に、義仲の最期を知らせること。
ここに、私たちがこれまで考えてきた「運命共同体」という視点が重なってくる。
同じ目的に向かって生きてきた仲間たちであっても、全員が最後まで同じ場所にとどまる必要はない。
戦う人がいて、守る人がいて、伝える人がいる。
その役割は、状況によって変わることがある。
巴が戦場を離れたという物語には、敗北から逃げた女性というだけではない意味が込められているのかもしれない。