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筑紫君磐井の謎|なぜ九州の巨大勢力はヤマト王権と戦ったのか。反乱と記された戦いの背後に何があったのか【5】

2014.11.06

9. 石人・石馬の謎|なぜ磐井の古墳には石で作られた人や動物が並んでいたのか

岩戸山古墳には、他の古墳とは異なる大きな特徴があります。

それは、石人や石馬など、数多くの石製品が置かれていたことです。

古墳時代の墓には、人物や動物、建物などを表現した埴輪が置かれることがあります。

しかし、岩戸山古墳では、粘土を焼いて作った埴輪だけでなく、石を加工した大きな造形物が数多く用いられていました。

武装した人物を表現した石人。

馬の姿を表した石馬。

盾や靫など、武器や武具に関係する石製品。

さらに、石猪や石殿、石蔵なども伝えられています。

『筑後国風土記』の逸文には、岩戸山古墳と考えられる墓に、石人や石盾が多数並べられていたことが記されています。

また、別区には裁判の様子を表現したような石製品が置かれていたという伝承も残されています。

石人・石馬などの石製表飾品は、北部九州を中心とする地域で発達した特徴的な文化です。

岩戸山古墳では、その種類と数量が特に豊富だったと考えられています。

八女市

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では、なぜ磐井の墓と考えられる古墳には、これほど多くの石製品が必要だったのでしょうか。

単に墓を豪華に見せるためだったのでしょうか。

それとも、墓に葬られた人物の権威や、その人物が生前に持っていた政治的な力を表現していたのでしょうか。

武装した石人が並んでいたとすれば、軍事的な力を示していた可能性があります。

馬の姿が表現されていることは、当時の有力者たちにとって馬が重要な存在だったことを考える手がかりになります。

そして、裁判の様子を表したという伝承は、さらに興味深い問題を投げかけます。

もし石製品の配置が、実際に裁判や裁定の場面を表現したものだったとすれば、そこには磐井が地域社会の秩序を維持する権威を持っていたことが表現されていたのかもしれません。

ただし、石製品が本当に裁判の様子を表現していたのかについては、慎重な検討が必要です。

『筑後国風土記』の記述は、磐井の時代から長い年月を経た後の伝承です。

石製品が作られた当初の意味と、後の時代の人々がそれをどのように解釈したのかは、必ずしも一致するとは限りません。

また、石製品の多くは破損し、元の位置から動かされているため、当初の配置を正確に復元することも簡単ではありません。

それでも、岩戸山古墳の石製品が、当時の九州に独自の造形文化と高度な加工技術が存在していたことを伝えているのは確かです。

そして、それらを大量に製作し、巨大な古墳に配置することのできた人々の存在も、忘れてはならないでしょう。

10. 阿蘇の石を加工した職人たち|巨大な石製品はどのように作られたのか

岩戸山古墳の石人や石馬には、阿蘇溶結凝灰岩と呼ばれる石材が使われています。

阿蘇地域の火山活動によって生まれた石材です。

火砕流などによる堆積物が、高温の状態で固まって形成される岩石であり、古代から石棺や石製品の材料として利用されてきました。

岩戸山古墳で使用された石材も、こうした阿蘇地域に由来する石であったと考えられています。

しかし、石材の産地が分かることと、個々の製品がどこで加工されたのかが分かることは同じではありません。

石材を採取した場所で製品を完成させたのでしょうか。

ある程度の大きさに切り出した石を運び、別の場所で加工したのでしょうか。

それとも、複数の地域に職人がいて、それぞれが異なる工程を担当していたのでしょうか。

これらについて、すべてが明らかになっているわけではありません。

ただし、石人や石馬の製作には、相応の技術と経験が必要だったことは想像できます。

まず、必要な形や大きさに合わせて石材を選びます。

石の内部に割れ目があれば、加工中に破損する可能性があります。

大きな造形物を作る場合には、完成後の重さや安定性も考える必要があります。

次に、石の不要な部分を削り落とし、人物や動物の形を作っていきます。

馬であれば、頭部や胴体、脚、馬具などを表現する必要があります。

人物であれば、顔や身体、衣服、武器や装身具などの細部も考えなければなりません。

さらに、石製品は完成しただけでは役割を果たしません。

古墳まで運搬し、決められた場所に設置する必要があります。

重い石製品を運ぶには、人の力だけでなく、そりや木材などの道具を利用した可能性も考えられます。

ただし、岩戸山古墳の石製品が具体的にどのような運搬方法で移動されたのかを示す直接的な資料は限られています。

ここで重要なのは、石製品一つを完成させるまでに、さまざまな仕事が存在していたということです。

石材を見つける人。

石を切り出す人。

加工する人。

運搬する人。

設置する人。

そして、どのような形のものを、どれだけ作るのかを考え、全体の作業を調整する人。

岩戸山古墳に残された石人や石馬は、磐井の権威を考えるための資料であると同時に、当時の人々が持っていた技術や生産活動を考えるための資料でもあります。

実際に石人の姿を見ると、単純な形の中にも、人物の特徴を表現しようとした工夫が見えてきます。

腕の位置、衣服の形、腰に付けた道具、身体の輪郭。

石という材料の制約の中で、必要な特徴を選び、形にしているのです。

そして、その表現には、製作した人々の技術だけでなく、当時の社会で何が重要とされていたのかという価値観も反映されていた可能性があります。

一つの石製品の中には、材料を選ぶ知識、形を作る技術、そして何を表現するのかという人々の考え方が重なっているのです。

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