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筑紫君磐井の謎|なぜ九州の巨大勢力はヤマト王権と戦ったのか。反乱と記された戦いの背後に何があったのか【6】

2014.11.07

11. 石人・石馬文化はどこから生まれたのか|九州独自の技術と外部からの影響

石人・石馬の文化を考えるとき、もう一つの疑問があります。

なぜ、このような石製品が九州を中心に発達したのでしょうか。

古墳時代の日本列島では、各地で埴輪が作られていました。

円筒埴輪や人物埴輪、家形埴輪など、その形や製作技術は時代とともに発展していきます。

一方、九州の一部地域では、粘土ではなく石を用いた装飾品が発達しました。

石人や石馬の文化は、筑後、肥後、豊後など、九州の複数の地域に広がっていました。

その起源や発展については、さまざまな研究が行われています。

中国大陸や朝鮮半島の墓に置かれた石造物との関係を考える見方もあります。

また、日本列島で発達していた埴輪文化や石棺文化などを背景に、九州の人々が独自に表現を発展させていった可能性も考えられます。

ただし、形が似ているからといって、直接的な技術の伝播があったと断定することはできません。

製作年代、形状、用途、分布、加工方法などを比較しながら考える必要があります。

ここで興味深いのは、外部からの影響を受けることと、独自の文化を形成することが、必ずしも対立しない点です。

ある地域で生まれた技術が、別の地域へ伝わる。

それを受け入れた人々が、自分たちの材料や道具、用途に合わせて製作方法を変えていく。

さらに、新しい表現や技術が加えられることで、元の地域とは異なる文化が形成される。

古代のものづくりでも、そのような変化が起きていた可能性があります。

そして、岩戸山古墳では、この石人・石馬文化が非常に大きな規模で表現されました。

その背景には、磐井の勢力が持っていた政治的な力だけでなく、石材の調達や加工、運搬を支える技術者たちの活動も存在していたはずです。

ただし、石人・石馬を製作した職人たちが、どのような集団に属し、どの地域で活動していたのかについては、分からないことが多く残されています。

技術者たちは、磐井の勢力に直接仕えていたのでしょうか。

それとも、石材加工を専門とする職人たちが各地を移動し、必要に応じて製作を請け負っていたのでしょうか。

あるいは、地域ごとに異なる生産体制が存在していたのでしょうか。

こうした問題を考えることは、古代の政治勢力がどのように技術を利用し、社会を支えていたのかを知ることにもつながります。

12. 裁判を表した石製品|磐井は独自の政治制度を持っていたのか

岩戸山古墳の別区については、非常に興味深い伝承があります。

『筑後国風土記』の逸文によれば、別区には裁判の場面を思わせる石人や石猪などが置かれていたとされています。

その記述では、盗みを行った者が裁かれる様子が、石製品によって表現されていたと伝えられています。

もし、この伝承が実際の造形物の意味を反映していたとすれば、そこには当時の地域社会における権威や秩序が表現されていた可能性があります。

人々が暮らす社会では、土地や物資をめぐる争いが起きることがあります。

約束が守られなかったり、財産をめぐって対立が起きたりすることもあったでしょう。

そうした問題を解決するためには、人々の間で何らかの取り決めや、争いを調整する仕組みが必要だったと考えられます。

では、磐井は地域社会の中で、そのような裁定を行う権威を持っていたのでしょうか。

可能性はあります。

しかし、別区の石製品だけから、当時の裁判制度や政治制度の具体的な内容を復元することはできません。

後の時代に成立した裁判制度と、6世紀前半の地域社会で行われていた争いの解決方法を、同じものとして考えることも適切ではありません。

また、『筑後国風土記』に残る裁判の物語が、実際の社会制度を正確に反映しているのか、それとも後世の人々が石製品に意味を与えた伝承なのかについても、判断は難しいところです。

それでも、この伝承は、磐井という人物が後の時代の人々にどのように記憶されていたのかを考える手がかりになります。

磐井は、単に戦いに敗れた人物としてだけでなく、地域社会に大きな権威を持っていた人物として語り継がれていた可能性があるのです。

そして、その記憶が岩戸山古墳という巨大な建造物と結びついて残されたことにも、意味があるのかもしれません。

古墳は、亡くなった人を埋葬する場所です。

しかし、それだけではありません。

後の世代の人々にとって、その地域にどのような有力者が存在していたのかを伝える場所にもなり得ます。

岩戸山古墳は、磐井の生涯を考えるための遺跡であると同時に、磐井という人物が後世にどのように記憶されたのかを考えるための遺跡でもあるのです。

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