生駒山は「壁」だったのか、それとも巨大な門だったのか
2014.07.13
山を見ると、人を隔てるものに見えます。
でも峠がある山は、人をつなぐ場所でもあります。
生駒山もそうです。
西には河内。
東には大和。
山だけ見れば大きな壁です。でも越える場所を知っている人にとっては、そこが最短の道になります。
山を越える人が増えれば、その入口には人が集まります。
荷物を積み替える。
休む。
道案内を頼む。
水を補給する。
山の神に祈る。
それだけで小さな拠点ができます。
だから峠の入口に古社があることは不思議ではありません。
そして峠を押さえる者は、交通を押さえます。
河内側と大和側を行き来する人や物を管理できる。
これは政治的にも大きい。
もし長髄彦が生駒周辺の有力者だったのなら、単に「大和にいた豪族」と考えるより、西から大和へ入る重要な門を押さえる勢力だったと見ると人物像が変わってきます。
神武側がそこから入ろうとした。
長髄彦側が抵抗した。
だとすれば、その戦いは神話上の英雄対悪役ではなく、交通と領域をめぐる現実的な衝突として読むこともできます。
山はただの障害物ではありません。
誰が門を握るか。
それが重要だったのかもしれません。
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