吉備の巨大古墳は、何を見せたかったのか
2014.07.14
吉備には巨大な古墳があります。
その規模を見ると、大和だけが圧倒的に強かった時代ではないことを感じます。
吉備にも、多くの人と物を動かせる社会がありました。
瀬戸内海という巨大な交通路を使える。
山陽側の陸路もある。
河川を通じて内陸へ入れる。
鉄などの資源にもつながる。
こうした条件が揃えば、大きな地域勢力が育つことは不思議ではありません。
そして吉備津神社周辺には、吉備中山と古墳群があります。
祭祀。
墓。
水運。
地域勢力。
ここでも同じ要素が重なります。
ただし、だから「吉備津神社が吉備王国の首都だった」と急ぐ必要はありません。
大切なのは、神社一社を中心に歴史を作ることではなく、その周辺に何が集まっているかを見ることです。
巨大な古墳を造れる勢力がいた。
海上交通を使える。
豊かな土地がある。
祭祀の中心も存在する。
それだけで十分に大きな社会です。
もし後世の大和中心の歴史だけを読めば、吉備は「地方」に見えます。
でも同じ時代の地理と墓を見ると、とても地方という一言では片付けにくい。
現在の中心地から過去を見てはいけない。
これは吉備を見ると、よく分かります。
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