物部八十手とは|祭祀を支えた古代のものづくり集団
2013.07.31
『日本書紀』崇神天皇7年の記事に、「物部八十手」という言葉が登場します。
大田田根子が大物主大神を祀る祭主となった、その同じ場面です。
『日本書紀』には、伊香色雄に命じ、「物部八十手」が祭神のための物を作ったと記されています。
ここで注目したいのは、「祈った」ではなく「作った」と書かれていることです。
祭祀には、多くの物が必要です。
器。
道具。
供え物を載せる台。
衣服。
装飾。
場合によっては武器や玉。
そうした物は、自然に現れるわけではありません。
誰かが材料を集め、加工し、形にしています。
つまり祭祀の裏側には、必ずものづくりがあります。
「八十」は古代の表現で「多くの」という意味に使われることがあります。
そう考えると、物部八十手とは、一人や数人の職人ではなく、多くの作り手が関わる集団だった可能性があります。
そして、その仕事を伊香色雄がまとめていたと記されています。
ここから考えると、物部という存在は、血縁だけでつながる一族ではなく、祭祀に必要な物を作る人々、扱う人々、管理する人々を含んだ大きな職能集団だったのではないでしょうか。
祈る人の名前は歴史に残ります。
しかし、その祈りを支える物を作った人たちの名前は、ほとんど残りません。
それでも、その人たちがいなければ祭祀は成立しません。
物部八十手という短い言葉の中には、古代のものづくりの現場で働いていた、多くの人々の姿が残っているのではないでしょうか。
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