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新田義貞 鎌倉幕府を倒した武将は、なぜ故郷の上野国で立ち上がったのか【4】

2015.05.19

同じ源氏でも、同じ道を選ぶとは限らない

義貞が鎌倉へ向かっていた頃、足利高氏もまた大きな決断をしていました。

高氏は幕府の命令によって京都方面へ出陣していましたが、途中で幕府に反旗を翻します。

そして六波羅探題を攻撃し、京都における幕府の支配を終わらせました。

新田義貞と足利高氏。

二人は、ともに源氏の流れをくむ武士です。

そして、1333年には鎌倉幕府を倒すという同じ方向へ動いていました。

しかし、その後の二人は、異なる道を歩むことになります。

義貞は後醍醐天皇を支え続け、尊氏と戦うことになります。

尊氏は武士たちをまとめ、室町幕府を築いていきます。

ここには、私たちが楠木正成の歴史探訪で考えてきた問題とも通じるものがあります。

同じ祖先を持つこと。

同じ目的に向かって戦うこと。

その二つがあっても、その後の人生まで同じになるわけではありません。

人間は、それぞれ異なる環境の中で生きています。

持っている情報も、守るべきものも、周囲の人間関係も違います。

だからこそ、同じ出来事に直面しても、違う答えを選ぶことがあるのでしょう。

義貞と尊氏は、鎌倉幕府の滅亡という歴史の転換点に立ち会いました。

しかし、その出来事が二人にとって、まったく同じ意味を持っていたとは限らないのです。

生品神社から始まった運命共同体

新田義貞の挙兵を考えるとき、私は最初に集まったと伝わる150騎の人々のことが気になります。

彼らには、それぞれの人生がありました。

故郷に家族を残してきた人もいたでしょう。

土地を管理する責任を持つ人もいたかもしれません。

戦いの経験が豊富な武士もいれば、まだ経験の少ない若者もいたでしょう。

それでも、彼らは義貞とともに鎌倉へ向かう道を選んだと伝えられています。

一度進軍を始めれば、その後の結果は分かりません。

幕府軍に敗れるかもしれません。

故郷へ帰れなくなるかもしれません。

反対に、幕府を倒すことができれば、新しい政治の中で自分たちの立場が変わる可能性もあります。

そのような状況で、人々は何を信じて行動したのでしょうか。

義貞の軍事的な能力だったのでしょうか。

新田一族の結びつきだったのでしょうか。

それとも、幕府の支配が変わるという時代の流れを感じ取っていたのでしょうか。

その答えは、一つではなかったのかもしれません。

ここで、私たちが考えてきた運命共同体という視点が浮かんできます。

運命共同体とは、全員が同じ考えを持っている集団ではないでしょう。

一人ひとりが異なる経験や目的を持ちながら、共通する大きな目標のために力を合わせる。

そして、その中で誰かの判断が、ほかの人々の人生にも影響する関係です。

義貞が挙兵を決断したとき、その判断は義貞一人の人生だけを変えたわけではありません。

ともに出陣した武士たち。

その家族。

新田荘で暮らす人々。

さらには、義貞の軍勢が進んでいく先の地域に暮らす人々にも、影響が広がっていったでしょう。

歴史の記録には、新田義貞が鎌倉幕府を倒したと書かれます。

しかし、義貞一人で幕府を倒したわけではありません。

多くの人々がそれぞれに考え、行動し、歴史の大きな流れをつくっていったのです。

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