楠木一族と後南朝。南北朝合一の後も、なぜ戦い続ける人々がいたのか【5】
なぜ人々は、過去の争いを忘れられなかったのか
後南朝の歴史を見ていると、何度も同じ問いが浮かびます。
なぜ、これほど長い年月が過ぎても、人々は過去の争いを終わらせることができなかったのでしょうか。
1392年に南北朝が合一したとき、多くの人々は戦いが終わることを望んでいたはずです。
しかし、政治的な和睦が成立しても、それまでに失われたものが戻るわけではありません。
戦死した家族は帰ってきません。
奪われた土地や立場が、すべて回復するわけでもありません。
そして、約束されたことが実現しなければ、和平そのものへの信頼も揺らいでしまいます。
それでも、人々はいつまでも争い続けるしかなかったのでしょうか。
私は、そうとは思いません。
歴史の中には、対立する相手と話し合い、条件を調整し、戦いを終わらせようとした人々もいました。
楠木正儀も、その一人だったと考えられています。
しかし、和平を目指すことは、決して簡単ではありません。
長年敵対してきた人々の間には、深い不信があります。
自分が譲歩すれば、仲間から批判されるかもしれません。
相手を信じても、約束を守ってもらえないかもしれません。
それでも、戦いを続ければ、さらに多くの犠牲が生まれる。
そのような状況で、どのような道を選ぶべきなのでしょうか。
正儀が生きた時代から、さらに何十年も後の後南朝の歴史は、その問いに簡単な答えがないことを示しているように思います。
運命共同体は、なぜ時に分裂してしまうのか
楠木一族の歴史を通じて考えてきたのが、「運命共同体」という視点です。
正成が千早城を守ったとき、そこには多くの仲間たちがいました。
正行が四條畷へ向かったときにも、同じ目的を持って戦った人々がいました。
正儀が和平を探ったときには、戦い続けることとは違う方法を選ぶ必要がありました。
そして、南北朝合一の後にも、旧南朝を支持する人々が残りました。
こうした人々は、最初から同じ考え方を持っていたわけではありません。
むしろ、何を守るべきなのかという点では共通していても、どのような方法を選ぶべきなのかというところで対立していたのかもしれません。
武力で取り戻すべきだと考える人。
和平によって残すべきだと考える人。
次の世代の生活を優先したいと考える人。
そして、過去の約束を守らせることが何より大切だと考える人。
それぞれの立場には、それぞれの事情があります。
しかし、同じ目的を持っていても、相手の考えを受け止められなくなれば、人々の結びつきは弱くなっていきます。
同じ側にいた人々が、互いに敵対することさえあります。
南北朝の歴史には、そのような場面が何度も現れます。
私は、運命共同体とは、単に同じ立場の人々が集まることではないと思います。
異なる考え方を持つ人々が、互いの存在を認めながら、共通する目的へ向かって協力すること。
そして、環境が変わったときには、それまでの方法に固執せず、よりよい方法を考え直すこと。
そこに、人間が持つ大切な力があるのではないでしょうか。
ただし、それがいつも成功するとは限りません。
だからこそ、歴史には成功した人々の話だけでなく、協力することができず、争いを繰り返してしまった人々の記録も残されているのだと思います。