木曾の山々に育まれた絆。義仲と巴御前、運命をともにした人々【2】
兄妹だったと伝わる三人
中原兼遠には、樋口兼光、今井兼平、そして巴御前という子どもたちがいたと伝えられている。
樋口兼光(ひぐちかねみつ)。
今井兼平(いまいかねひら)。
そして、巴(ともえ)。
この三人は、後世の伝承では兄妹とされることが多い。
ただし、巴については、兼遠の実の娘とする伝承だけでなく、異なる出自を示す物語もある。
今井兼平の妹とするもの、樋口兼光の娘とするものなど、軍記物語によって関係は一定していない。
そのため、巴が本当に二人の妹だったかどうかは確定できない。
ここでは、巴が兼遠の娘であり、兼光や兼平とともに育ったという伝承を手がかりとして、その人間関係を考えてみたい。
幼くして父を失い、木曾へ逃れてきた駒王丸。
その少年を迎え入れた兼遠の家族。
もし巴も同じ生活の中にいたとすれば、彼らは幼い頃から互いの存在を知っていた可能性がある。
一緒に食事をしたこともあっただろう。
互いに競い合ったこともあったかもしれない。
年齢や性格の違いによって、できることも、得意なことも異なっていたはずである。
ただし、こうした日々の具体的な様子を伝える記録はない。
彼らがどのような言葉を交わし、どのような遊びや訓練をしていたのかは分からない。
私たちは、そこを想像だけで埋めてしまうべきではないだろう。
それでも、同じ土地で長い時間を共有することの意味は考えられる。
戦場で初めて顔を合わせた者同士と、幼い頃から互いを知っている者同士では、信頼の生まれ方が異なることがある。
誰が慎重で、誰が大胆なのか。
誰が危険な場面で冷静さを保ち、誰が人を励ますことに長けているのか。
そうしたことは、長い付き合いの中で自然に見えてくる。
だからこそ、兼光や兼平が義仲の重要な家臣となっていったことには、単なる主従関係だけではない背景があったのかもしれない。
そして巴もその輪の中にいたのであれば、彼女を義仲の恋人、あるいは女武者という一つの立場だけで考えることは、少し狭すぎるように思える。
巴御前は、どのように武芸を身につけたのか
『平家物語』には、巴御前が優れた武芸を持つ女性として描かれている。
強い弓を引き、馬を巧みに操り、刀を持って戦う。
しかも、ただ戦えるだけではなく、義仲が一隊の大将として送り出したという。
もしこれが実際の姿を反映しているのであれば、巴は単に腕力の強い女性だったというだけではない。
周囲から一定の信頼を得ていた可能性も考えられる。
では、そのような力を、どこで身につけたのだろう。
興味深いことに、『平家物語』の異本の一つである延慶本には、巴が幼い頃から義仲とともに育ち、武芸の稽古に関わっていたという趣旨の記述がある。
ここには、後世の巴御前像を考えるうえで重要な手がかりがある。
武芸の能力は、生まれつき備わったものだけで決まるわけではない。
繰り返し練習し、失敗を重ね、他者から学ぶことで身についていく。
もし巴が義仲やその周囲の人々とともに武芸に親しんでいたのであれば、彼女の強さもまた、長い時間をかけて培われたものだったのかもしれない。
ただし、延慶本も義仲や巴の幼少期を直接記録した文書ではない。
武芸をともに学んだという話も、事実として確認されたものではなく、軍記物語の中に残された描写である。
それでも、この伝承が興味深いのは、巴の強さを単なる超人的な能力としてではなく、義仲との成長の過程に結びつけて描いていることである。
私たちは、ここから一つのことを考えられる。
人間の能力は、その人個人だけで完成するものではない。
教える人がいて、ともに練習する仲間がいて、失敗を指摘してくれる人がいる。
それぞれが異なる能力を持ち、互いに刺激を与え合うことで、一人では到達できなかったところまで成長することがある。
もし巴御前が実在し、義仲とともに育っていたのであれば、二人の関係にも、そうした時間があったのだろうか。
それを証明する記録はない。
しかし、二人の関係を考えるうえで、見落としたくない可能性である。
義仲と巴は、恋人だったのだろうか
巴御前を紹介する文章では、木曾義仲の愛妾だったという説明を見かけることがある。
また、義仲の妻の一人として紹介される場合もある。
しかし、二人の関係は、実はそれほど明確ではない。
『平家物語』に描かれている巴は、義仲に仕え、ともに戦う人物である。
一方、異なる軍記物語や後世の伝承では、義仲との男女関係を強く意識した描写も登場する。
さらに、義仲の息子である源義高の母を巴とする説もあるが、母が誰だったのかについては、確かな結論が得られていない。
ここで私たちは、少し慎重になりたい。
男女が長い時間をともに過ごし、命の危険がある戦場まで行動をともにしていたからといって、その関係を恋愛だけで説明する必要はない。
もちろん、二人の間に愛情があった可能性を否定する理由もない。
しかし、愛情にもさまざまな形がある。
幼い頃から同じ家で育った相手に対する親しみ。
自分の命を預けられる仲間への信頼。
苦しい時期をともに乗り越えた相手への感謝。
主君として、あるいは家臣として互いに認め合う関係。
その中に男女の愛情が重なっていたとしても、不思議ではない。
大切なのは、一つの言葉に決めつけないことだと思う。
私たちがこれまで源義経とその仲間たちを考えてきたときにも、同じ問題があった。
人と人との結びつきは、必ずしも血縁や役職だけで決まるわけではない。
それまでの人生の中で、何を共有してきたか。
困ったときに、誰が何をしてくれたか。
その積み重ねによって生まれる信頼もある。
義仲と巴の関係も、もし伝承のように幼少期から続くものであったなら、そうした多面的なものだったのではないだろうか。
しかし、二人の関係を考えるうえで、見落としたくない可能性である。