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日高見国は、どんな国だったのか

2014.02.12

「日高見国」という名前を見ると、私はいつも少し想像してしまいます。

東の広い土地。

山がある。

川がある。

海へ続く道がある。

そして、その土地ごとに暮らす人たちがいる。

私は、日高見国を一人の王が上から全部を支配する国だったとは見ていません。

むしろ、

いくつもの地域がつながった、大きな連合だった。

そう考えています。

鹿島や香取の周辺。

茨城。

千葉。

福島。

さらに北へ続く地域。

それぞれに生活がある。

祭りがある。

土地の神様がいる。

山の人。

海の人。

農耕をする人。

交易をする人。

全部が同じではない。

でも必要な時にはつながる。

私は、それが日高見国の姿だったのではないかと思っています。

だから「国」という言葉だけで見ると、少し見誤る。

現代のように一本の国境線があり、首都があり、中央政府がある。

そんな形ではない。

人と人、地域と地域が結ばれた国。

だったのではないでしょうか。

そして、その連合が長く続いたからこそ、外から支配しようとする力が入ってきた時にも、簡単には崩れなかった。

アテルイやモレの時代まで、東日本には独自のまとまりが残っていた。

私はそう考えています。

面白いのは、もし日高見国が本当にそういう連合だったなら、アテルイやモレは突然現れた英雄ではないことです。

もっと古くから続く国や共同体の流れを受け継いだ人たちになる。

つまり、

彼らが守ろうとしたものは、目の前の村だけではない。
何世代も続いてきた東日本の国そのものだった。

そう考えると、二人の行動の重さが変わります。

そして日高見国という名前も、ただ古い地名ではなくなる。

そこには、

長く続いた暮らし。

人のつながり。

祭り。

技術。

土地への愛着。

そういうもの全部が詰まっていた。

私は、日高見国とは、

東日本の人たちが自分たちで作り、守り、つないできた大きな共同体の名前

だったのではないかと思っています。

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