古代の大都市は、今の大都市と同じ場所にあったとは限らない
2014.07.09
私たちは大阪と聞けば大阪市、奈良と聞けば奈良市、岡山と聞けば岡山市を思い浮かべます。だから昔も、その辺りが地域の中心だったように感じてしまいます。
でも、人が集まる理由は時代によって変わります。
現在なら鉄道、高速道路、空港、企業、行政機関が都市をつくります。古代ならもっと単純です。水がある。食料が取れる。船が着く。荷物を運べる。山を越える道につながる。洪水を避けられる高台がある。
その条件が揃ったところに人が集まります。
だから古代の中心地を探す時、現在の市街地を見ても分からないことがあります。むしろ今は田畑しかない場所や、静かな神社の周囲が、昔は非常に賑わっていた可能性があります。
河内湖の周辺がその典型です。現在の東大阪や八尾の町並みを全部消し、昔の水面を戻せば、人が集まりそうな場所が見えてきます。湖岸、河口、水路の分岐、高台の裾。そこに大きな集落や墓が現れる。
つまり都市は消えたのではありません。
都市が成立した理由が消えたのです。
水路が埋まる。川筋が変わる。港が使えなくなる。新しい街道ができる。すると人は別の場所へ移っていく。
建物はなくなります。
でも古墳は残る。神社も残る。地名も残る。
その三つを昔の水面に戻して見ると、消えた都市の輪郭がもう一度浮かんでくることがあります。
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