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出雲と越を結ぶもの――海を渡った一族の記憶

2015.09.15

――越の姫、出雲の王、そして諏訪へ続く謎

日本海を隔てた出雲と越。

この二つの地域には、不思議な婚姻の物語が残されています。

出雲の大国主神が、遠く越に暮らす一人の女性を訪ねたというのです。

その女性の名は、沼河比売。

現在の新潟県糸魚川周辺に伝承が残る、越の姫です。

『古事記』では、大国主神は八千矛神という名で登場し、越まで出向いて沼河比売に求婚します。

姫はすぐには戸を開きません。

二人は歌を交わし、翌日の夜に結ばれたと伝えられています。

古代の神話らしい、美しい婚姻の物語です。

しかし、ここで一つの疑問が生まれます。

なぜ出雲の有力な神が、わざわざ遠く離れた越の女性を訪ねたのでしょうか。

単なる恋愛の物語として読むだけでは、見落としてしまうものがあるかもしれません。

沼河比売は、どのような女性だったのか

沼河比売の伝承が残る糸魚川周辺は、古くから翡翠の産地として知られています。

縄文時代からこの地域では翡翠が利用され、美しい玉は遠く離れた土地へ運ばれました。

翡翠を採るには、産地を知っていなければなりません。

材料を加工するには、石の性質を理解し、精密な作業を行う技術が必要です。

そして、完成品を遠方へ届けるには、人々の交流が欠かせません。

つまり、糸魚川周辺には、古い時代から資源と技術、交易を支える人々が存在していました。

そんな土地に伝わる、沼河比売という女性。

古い伝承に残る名前の背後には、地域を代表する有力な一族がいたのではないでしょうか。

國學院大學の神名研究でも、沼河比売について、翡翠を扱う玉作り集団の首長や、翡翠の産地を統率した女王として捉える説が紹介されています。

もし彼女が地域の有力一族を象徴する人物だったなら、大国主神との婚姻には、恋愛以上の意味が生まれます。

出雲と越の有力な一族が、婚姻によって結びついた。

そんな歴史が、神話の姿で語り継がれたのではないか。

ここから、物語はさらに興味深くなります。

別の古い記録にも、同じ婚姻が残っていた

『古事記』だけではありません。

『出雲国風土記』にも、大国主神にあたる神と、越の姫との婚姻が登場します。

そこでは、姫の名は奴奈宜波比売命。

さらに興味深いのは、その父や祖父の名前まで記されていることです。

父は俾都久辰為命。

祖父は意支都久辰為命。

この二つの名前には、海辺や沖合を連想させる言葉が含まれていると解釈されています。

そう考えると、沼河比売の一族は、翡翠を扱う山や川の人々だけではなく、海との関係も深かったのかもしれません。

山で得られる貴重な資源。

河川を利用した輸送。

そして、遠く出雲へ続く日本海の航路。

越の姫をめぐる伝承の背後に、資源と海上交通を支えた一族の姿が浮かんできます。

しかし、『出雲国風土記』には、さらに重要なことが書かれていました。

生まれた子は、美保へ向かった

『出雲国風土記』によると、大国主神と越の奴奈宜波比売命の間には、御穂須々美命という子が生まれました。

その神は、出雲の美保に鎮座すると記されています。

美保。

島根半島の東端に位置する、現在の美保関につながる地名です。

美保関といえば、日本海の航路に面した古くからの港町。

現代にも、美保神社や青石畳通りなど、海上交流の歴史を感じられる場所が残されています。

出雲の神と越の姫が結ばれ、その子が美保に鎮座する。

この系譜を地理と重ねると、興味深い構図が現れます。

越と出雲が婚姻によって結ばれ、その関係を象徴する神が、日本海交通の重要な場所に祀られているのです。

これは偶然の物語なのでしょうか。

それとも、美保という土地が、出雲と越の交流において特別な意味を持っていた記憶なのでしょうか。

神々の名前だけを追っていたのでは見えてこない、海の道がここにあります。

ところが、別の文献には違う子どもの名前がある

ここで、さらに不思議なことが起こります。

『先代旧事本紀』では、大国主神と沼河比売の間に生まれた子として、別の神が登場するのです。

その名は、建御名方神。

長野県の諏訪大社に祀られている神です。

『出雲国風土記』では御穂須々美命。

『先代旧事本紀』では建御名方神。

同じ越の姫に関わる系譜が、異なる形で伝えられていました。

ここで大切なのは、どちらか一方をすぐに正しいと決めることではありません。

むしろ、なぜ美保と諏訪という離れた土地に、越の姫につながる系譜が残っているのかを考えたいのです。

美保は日本海沿岸。

諏訪は信濃の内陸。

一見すると、まったく違う地域に思えます。

しかし、越から内陸へ続く道を考えれば、別の景色が見えてきます。

越から諏訪へ。海の道は山の道につながる

現在の糸魚川から内陸へ進めば、姫川の流域を通って信濃方面へ向かう道があります。

古くから日本海側と信濃を結んできた、重要な交通の経路です。

越の人々が山道を利用し、内陸の人々と交流していたことは、縄文時代の翡翠の広域流通からも考えられます。

そして、この道の先にあるのが諏訪です。

『古事記』の国譲りの物語では、建御名方神は大国主神の子として登場します。

建御雷神との争いに敗れ、科野国の州羽海、現在の諏訪湖に結びつく場所へ逃れたと伝えられています。

なぜ諏訪だったのでしょうか。

逃亡先を考えるなら、そこへ移動できる道が必要です。

そして、移動した先で生きていくには、迎えてくれる人々も必要だったでしょう。

もし建御名方神が越の姫の一族とも関係していたなら、諏訪への移動は、まったく知らない土地への逃亡ではなかったとも考えられます。

越と出雲の婚姻、そして諏訪へ続く系譜。

これらを重ねると、神話の中に人々の移動経路が浮かび上がってくるのです。

諏訪には、さらに古い神がいた

ところが、諏訪の伝承には、もう一つの重要な人物が登場します。

洩矢神です。

中世の『諏訪大明神絵詞』には、建御名方神が諏訪へ来た際、もともとその土地にいた洩矢神と争ったという伝承が残されています。

ここで諏訪の歴史は、さらに複雑になります。

建御名方神が来る以前から、土地を守る人々と信仰があった。

そこへ別の地域から神、あるいはその神を信仰する一族がやって来た。

争いの伝承がありながら、後世には諏訪大社の祭祀をめぐって古い氏族の存在も受け継がれていきます。

諏訪の守矢氏は、洩矢神の系譜を伝える一族として知られています。

土地に古くから暮らしていた人々の信仰と、後から移動してきた人々の信仰。

その二つが、長い時間をかけて現在の諏訪の祭祀につながったのでしょうか。

そう考えると、神話に描かれた勝敗だけではなく、その後も続いた人々の暮らしや祭祀を見つめる必要が出てきます。

敗れた側の神も、土地の記憶から簡単には消えなかったのです。

墓の形にも残る、出雲と越の交流

ここで、神話から実際の遺跡へ目を戻してみます。

出雲には、西谷墳墓群があります。

福井には、小羽山30号墓があります。

両地域には、四隅突出型墳丘墓という共通した特徴を持つ墓が残されています。

福井県史では、その共通性について、山陰と北陸の間に擬制的な同族関係、あるいは同盟関係が存在したことを示す可能性に言及しています。

ここが重要です。

神話には婚姻が登場する。

遺跡には共通した葬送文化が残る。

日本海には、それらの地域を結ぶ交通路がある。

別々の資料を見ているだけでは、見逃してしまう関係です。

しかし、三つを重ねれば、出雲と越が単なる交易相手ではなかったという見方が強まります。

しかも、北陸の墓には山陰とは異なる特徴もあります。

共通の文化を持ちながら、独自の方法も守っていたのです。

互いを支配する関係ではなく、それぞれの独立性を保ちながら結びついていた一族。

そんな社会の姿も考えられます。

なぜ、これほどの関係が神話として残ったのか

大国主神と沼河比売。

御穂須々美命と美保。

建御名方神と諏訪。

洩矢神と守矢氏。

これらは、異なる地域に伝わる物語です。

しかし、地形と交通路を重ねると、一つの広い交流圏の中に収まっていきます。

越は日本海に面し、出雲と船で結ばれる。

越から山道を進めば、信濃へ向かうことができる。

各地に残る墓や神社、祭祀の伝承は、人々が行き来し、婚姻や交流を重ねた記憶を伝えているのではないでしょうか。

そして、もし後に大きな政治的な争いが起きたとしても、長年築かれた人々のつながりが、すぐに消えるとは考えにくいものです。

故郷を離れた人々が、新しい土地で祖先を祀る。

子どもや孫へ、一族の歴史を語り継ぐ。

そうした積み重ねが、各地の伝承を現在まで残してきたのでしょう。

そして、最大の謎が残る

出雲の大国主神が越の姫を訪ねた。

その子とされる神が、美保と諏訪に伝えられている。

出雲と越には共通する墓の文化がある。

そして諏訪には、移動してきた神と、もともとの土地の神との争いが語り継がれている。

ここまでつながると、一つの問いが浮かび上がります。

古代のクニ同士の婚姻は、単なる個人の結婚ではなく、多くの人々を結びつける大切な役割を果たしていたのではないでしょうか。

出雲、越、諏訪。

これらの土地には、それぞれ独自の人々の歴史がありました。

そのつながりは、大和に大きな政治的中心が成立する以前から、長く続いていたのかもしれません。

そして、その交流は出雲と越だけでは終わりません。

日本海を西へ進めば、但馬や丹後があります。

さらに山を越えれば、播磨や吉備へもつながります。

そこにも、独自の技術と文化を持つ有力なクニが存在していました。

第8話「吉備・播磨・但馬・丹後――日本海と瀬戸内海を結んだ古代のクニ」へ続きます。

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