アテルイは、何を守って戦ったのか
2014.02.20
789年。
現在の岩手県奥州市周辺で、大きな戦いが起きました。
胆沢へ進軍した律令国家軍と、当地の蝦夷勢力との戦いです。
奥州市の年表には、
「紀古佐美、胆沢(巣伏)の戦いでアテルイに敗れる」
と記されています。
後世、アテルイは「朝廷に反抗した蝦夷の首長」と説明されることが多くなりました。
でも少しだけ立つ場所を変えてみます。
アテルイたちが暮らしていた胆沢へ、軍隊がやって来た。
その地域はまだ律令国家による直接支配の最前線でした。
だとすれば彼らは、
「中央政府に反乱した」
だけなのでしょうか。
それとも、
自分たちが暮らしてきた土地を守ろうとしたのでしょうか。
もちろんアテルイ自身の言葉は残っていません。
だから「彼はこう思っていた」と断定することはできません。
それでも人間として考えることはできます。
目の前には北上川。
その向こうから大軍がやって来る。
後ろには、自分たちの集落がある。
家族がいる。
ここで退けば、その先には自分たちの暮らす土地しかありません。
歴史書には「征討」と書けます。
しかし、その川岸に立っていた一人の男にとって、
それはもっと単純だったのかもしれません。
ここから先へは行かせない。
その思いで戦った可能性を、私たちは忘れないでいたいと思います。
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