アテルイとモレは、なぜ殺されたのか
2014.02.21
802年。
アテルイとモレは、500人余りを率いて降伏しました。
そして坂上田村麻呂とともに都へ向かいます。
ここから先に残された記録は、かなり生々しいものです。
『日本紀略』に残された『日本後紀』逸文によると、田村麻呂らは二人を故郷へ帰し、他の人々の帰順を促すために使いたいと助命を求めました。
しかし公卿たちは反対します。
再び反乱するかもしれない。
危険な指導者を帰せば将来の災いになる。
そう判断され、アテルイとモレは河内国で処刑されました。
ここが私は、とても人間臭い歴史だと思います。
田村麻呂は実際に彼らと戦いました。
戦場でその強さを知っていた人物です。
だからこそ、
「生かして帰した方がいい」
と考えたのかもしれません。
しかし都にいる人々から見れば違った。
遠く離れた東北の二人の男より、
再び反乱が起こる危険の方が大きかった。
結果として二人は故郷へ帰れませんでした。
胆沢の山も、
北上川も、
仲間たちの顔も、
もう一度見ることはありませんでした。
歴史では「802年、アテルイ降伏」と一行で終わります。
でもその一行の中には、
故郷から千キロ近く離れた土地で命を絶たれた二人の人生があります。
数字の向こうに人間を見ると、
歴史は急に静かではなくなります。
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