いつから日本は、「できる人」より「一族」を重視するようになったのか
古い日本では、その人がどこの家に生まれたかより、
何ができるのか。
こちらの方が大切だった。
私はそう考えています。
水を知る人が水を任される。
山を知る人が山へ入る。
船を扱える人が海へ出る。
道具を作れる人がものづくりを担う。
祭祀のできる人が祭りをまとめる。
人をまとめることが得意な人が、共同体の中心になる。
必要な仕事を、できる人が担う。
それが一番自然です。
ところが、社会が大きくなると少しずつ変わっていきます。
同じ仕事を毎回違う人に教えるより、親から子へ伝えた方が早い。
鉄を扱う家。
焼き物を作る家。
祭祀を担う家。
水を管理する家。
船や交易を担う家。
最初は、技術や経験を残すための合理的な仕組みだったのだと思います。
子どもは小さい頃から親の仕事を見る。
道具の使い方を覚える。
人とのつながりも受け継ぐ。
そうすれば、高度な技術を何世代にもわたって残すことができる。
ここまでは、とても自然なことです。
でも何代も続くと、意味が少しずつ変わっていく。
最初は、
「この仕事ができるから、この家が担う」
だった。
それが、
「この家だから、この仕事を担う」
へ変わる。
さらに土地や財産、祭祀、政治的な力まで一緒に受け継がれるようになると、
「この家だから重要だ」
という考え方が生まれる。
私は、一族重視の始まりはここだったと思っています。
古墳時代になり、地域同士の結びつきが大きくなるころには、家や一族のつながり
そのものが社会を動かす力になっていった。
そして「氏」のような集団が強くなっていく。
本来は技術や役割を伝えるためだった仕組みが、少しずつ血筋を守る仕組みに変わった。
すると社会を見る基準まで変わります。
「あなたは何ができるのか」
ではなく、
「あなたは誰の一族なのか」
になっていく。
ここは、日本社会の大きな転換だったと私は思います。
一族で技術を受け継ぐこと自体が悪かったのではありません。
むしろ、それがあったから残った技術もたくさんあったはずです。
変わったのは、
役割を受け継ぐことと、地位を受け継ぐことが一緒になった時。
そこから、能力より血筋が優先される社会が生まれていった。
古い日本は、
できる人が役割を担う社会だった。
それが、
役割を一族が受け継ぐ社会になり、
やがて、
一族そのものが力を持つ社会になった。
私は、この変化が、古代日本が「役割の社会」から「身分の社会」へ移っていく大きな分岐点だったと考えています。