稲荷山古墳と江田船山古墳の謎|東国と九州の鉄剣に刻まれた同じ大王の名は、何を物語るのか【5】
13. 文字が残したもの|1500年を越えて伝わる人々の記憶
稲荷山古墳の鉄剣と江田船山古墳の大刀は、約1500年という長い時間を経て、現代に残されました。
鉄は錆び、文字の一部は失われ、当時の社会の多くは分からなくなっています。
それでも、そこに刻まれた名前や文章は、当時の人々が何を大切にしていたのかを考える手がかりを与えてくれます。
ヲワケ臣は、祖先から続く一族の歴史と、大王との関係を記録しました。
ムリテに関わる銘文には、大王との関係とともに、長寿や子孫の繁栄への願いが残されました。
そして、伊太和と張安という、製作に関わった人々の名前も刻まれていました。
そこには、王の名前だけでは語ることのできない歴史があります。
どれほど大きな古墳を築いても、どれほど強い権力を持っていても、その人々が何を考え、どのような仕事をし、どんな願いを持っていたのかは、簡単には分かりません。
しかし、たった一本の鉄剣や大刀が、そうした人々の存在を現代に伝えることがあります。
それも、文字を残すという行為と、その文字を長い年月に耐えられる製品として形にする技術があったからです。
古代のものづくりは、単に道具を作ることだけではありませんでした。
人々の立場を示し、願いを託し、時には歴史そのものを後世へ伝える役割も果たしていたのです。
1500年前の職人たちは、自分たちの製作した刀剣が、これほど長い年月を経て研究されることを想像していたでしょうか。
そして、その刀剣に刻んだ文字が、未来の人々に古代社会の姿を考えさせることになるとは、思っていたでしょうか。
稲荷山古墳と江田船山古墳の刀剣は、古代の政治的な関係を示す重要な資料です。
しかし、それだけではありません。
人々が技術を使って作り上げたものが、時代を越えて歴史を伝えることがある。
その事実もまた、二振りの刀剣が現代の私たちに教えてくれることなのかもしれません。
そして、もう一つの疑問が残ります。
稲荷山古墳と江田船山古墳の刀剣が示すような、王権と地方の有力者たちの関係は、その後どのように変化していったのでしょうか。
各地の豪族が力を持つ社会から、より組織的な政治の仕組みへ。
日本列島は、次の時代へと進んでいきます。
次回予告|継体大王の謎 王統は本当に途切れなかったのか
5世紀後半、ワカタケル大王の時代には、東国から九州まで広い政治的な関係が形成されていたと考えられています。
しかし、6世紀に入る頃、王権の歴史には大きな転換点が現れます。
『日本書紀』によれば、武烈天皇の死後、皇位を継ぐ人物がいなくなり、遠く越前などにゆかりを持つ男大迹王(ヲホド王)が迎えられました。
後の継体天皇です。
ところが、この人物の即位については、古くからさまざまな議論があります。
それまでの王統を正当に受け継いだ人物だったのでしょうか。
それとも、異なる政治的な勢力を背景に登場した、新たな大王だったのでしょうか。
さらに、継体大王が即位した後も、すぐに大和へ入らなかったと伝えられているのはなぜなのでしょうか。
次回は、継体大王の出自と即位をめぐる謎を手がかりに、6世紀の王権がどのように変化していったのかを探ります。