日高見国へ続く水の道【後編】
フツ。
香取神宮の経津主大神を連想せずにはいられません。
もちろん名前だけで同じ勢力だと決めることはできません。
でも、
香取。
鹿島。
霞ヶ浦。
信太。
それぞれを別々の章として読むより、水の世界の中で重ねた方がずっと自然に見えます。
そしてここで、私は一つ疑問を持ちます。
もしヤマト側が東へ進もうとしたなら、
何を最初に欲しがるでしょう。
山奥でしょうか。
違うと思います。
交通路です。
舟が通る場所。
物が集まる場所。
人が集まる場所。
食料を確保できる場所。
そして、その土地の人々が祈る重要な場所。
そこを押さえる。
現代の戦争でも物流を押さえることが重要ですが、それは古代でも同じだったはずです。
鹿島郡は後に「神郡」とされました。
香取郡も同様です。
神郡とは、大きな神社を支えるための特別な行政区域でした。鹿島郡には実際に
郡役所が設けられ、鹿島神宮の南からその遺構も発掘されています。
私はここに、かなり大きな変化を見る気がします。
最初から国家の神が土地を作ったのではない。
先に土地があった。
人がいた。
水路があった。
交易があった。
そこへ国家が制度を持って入ってくる。
そして重要な場所を、
神社。
神郡。
郡家。
という形で組み直していく。
もしそうなら、鹿島・香取の「武神」という顔も、最初から最後まで同じでは
なかったかもしれません。
水辺を守る神。
土地を鎮める神。
舟を守る神。
そうした古い祭祀の上に、
「東を平定する神」
という意味が重ねられていった可能性もあります。
では、誰を平定したのでしょう。
そこに誰もいなかったのなら、「平定」という言葉そのものがおかしい。
人がいた。
生活があった。
自分たちの神がいた。
自分たちの土地があった。
そのさらに東や北に、後の記録で日高見と呼ばれる世界が現れてくる。
だから私は、日高見国を探すときに「首都はどこだったのか」から始めたくありません。
もっと人間的なものを見る。
どこまで同じ水の道を使えたのか。
どこまで物が動いたのか。
どこまで同じ祭祀や伝承が残っているのか。
そこを追った先に、日高見という名前が重なってくるのではないかと思います。
そして、この水の道にはもう一つ、強烈な存在があります。
筑波山です。
霞ヶ浦の水上から見える大きな山。
『常陸国風土記』にも登場し、古くから人が集まり、歌垣が行われた山です。
なぜ水の交通圏のすぐそばに、あれほど大きな祭祀の山があるのか。
鹿島・香取・麻賀多を地上の点として結ぶだけでなく、舟から見える山、太陽の方位、
筑波山の位置まで重ねます。
ここからレイラインの話がとても興味深いものです。