湧水のそばに古い祭祀が残る理由
2014.08.24
山の麓や台地の端を歩くと、不思議なくらい古い神社や祠の近くに
水が湧いていることがあります。
現在なら蛇口をひねれば水が出ます。
だから水源が生活の中心だった感覚を忘れています。
でも昔は違います。
飲む。
料理する。
田畑へ流す。
家畜に与える。
身体を洗う。
水がなければ一日も暮らせません。
しかも川の水は洪水で濁ることがあります。
池はよどむ。井戸を掘れる場所にも限りがあります。
その中で一年を通じて清い水が湧く場所があれば、それは特別です。
集落ができます。
道ができます。
人が集まります。
そして祈りも生まれる。
「この水が止まりませんように」
それだけでも十分、神を祀る理由になります。
後の時代になると、その水源には立派な祭神名が与えられ、神話の物語も重なって
いくことがあります。
でも、もっと古い始まりは単純だったかもしれません。
ここに水がある。
この水のおかげで生きられる。
だから大切にする。
私は古い神社で湧水や池を見つけると、
由緒より先に「ここへ人が住む理由があった」と考えます。
神社があるから水が神聖になったのではなく、水が命だったから、その場所が
神聖になった。
そういう順番もあるのではないでしょうか。
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