筑紫から見れば、大和の方が「東の国」だった
2014.07.21
福岡周辺に立って古代を考えると、景色が変わります。
海の向こうには朝鮮半島があります。
さらにその向こうには中国大陸があります。
鉄。
鏡。
武器。
装身具。
技術。
文字。
思想。
さまざまなものが海を渡って入ってくる。
海外から船が来る場所であれば、筑紫は「日本の端」ではありません。
むしろ列島の玄関です。
大陸から見れば、大和の方がずっと奥にあります。
この地理感覚を持つだけで、「中央から地方へ文化が伝わった」という一方向の話が怪しくなってきます。
西から入ってきたものが、筑紫を通って瀬戸内へ進み、大和へ伝わることもあったでしょう。
つまり文化の流れによっては、中心と周辺が逆転します。
そして海外と直接つながる地域には、外交を行う力も必要になります。
船を持つ。
港を管理する。
外国の言葉や習慣を知る。
交易品を分配する。
外から来た人を受け入れる。
こうした能力も政治力です。
古代国家の力を軍隊の人数だけで測ると、こういう部分が見えません。
海への入口を持つことそのものが、巨大な力だった。
筑紫の存在を大和側の記録だけで見ると「西の地方」になります。
しかし海から見れば、列島の最前線だったのかもしれません。
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