吉備は、なぜ大和と並ぶほど大きな古墳を造れたのか
2014.07.22
吉備の古墳を見ると、一つの疑問が出ます。
なぜこれほど大きな墓を造れたのでしょう。
巨大古墳を一つ造るには、人を集めるだけでは足りません。長期間働く人々へ食料を供給し、道具を用意し、土や石を運び、全体を指揮する必要があります。
それを可能にする社会があったということです。
吉備は瀬戸内海に面しています。
船で東へ行けば畿内。
西へ行けば九州。
河川を使えば内陸へ入れる。
さらに鉄資源や農業生産力との関係も考えられます。
つまり吉備には、人と物を集められる理由がありました。
大きな古墳は、その結果として現れたものかもしれません。
ここで注意したいのは、「巨大古墳があるから王国だった」と短絡しないことです。
でも少なくとも、多くの人間を動かすだけの社会的な力を持つ勢力が存在したことは想像できます。
そしてその力は、大和とは別の土地から生まれています。
これを見ていると、古代日本は最初から一つのピラミッド型社会だったとは考えにくくなります。
複数の大きな勢力があり、その中で関係を結びながら、徐々に政治秩序が変化していった。
吉備の巨大古墳は、そんな時代の存在感を今も地面の上に残しているように見えます。
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