瓜生堂と久宝寺。河内湖のほとりに巨大な町があった
2014.07.04
古代の都市というと、奈良や京都を思い浮かべます。
でも河内湖周辺の遺跡を見ると、それ以前からかなり大きな人間の集まりが存在していたことが分かります。
東大阪の瓜生堂遺跡、八尾の久宝寺遺跡。
どちらも河内湖や旧大和川水系と深く関わる場所です。
現在なら完全な市街地ですが、昔は水辺でした。
久宝寺周辺では弥生時代から大きな集落が形成され、船に関係する部材も見つかっています。
これは重要です。
船を持つということは、単に魚を捕るだけではありません。
人を運べる。
荷物を運べる。
別の集落へ行ける。
大和川水系を使えば奈良盆地へもつながる。
つまり久宝寺周辺は、大阪湾側と大和側を結ぶ物流の途中に位置します。
大量の物が動けば、その場所には人も集まります。
交換が始まる。
技術が集まる。
政治的な力を持つ人も出てくる。
そして水路を管理する必要も生まれます。
そう考えると、河内湖の周辺に大きな集落が育ったのは不思議ではありません。
湖の「端」だったから不便だったのではなく、水と陸の両方を使えるから便利だった。
昔の都市は、駅前ではなく水辺に育った。
この当たり前のことを現代人は忘れています。
道路のない時代、船着場こそ交通の中心です。
すると、古社や古墳が水辺近くに集まる理由も、少しずつ同じ景色の中に入ってきます。
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