石切は、本当に山の中の神社だったのか
2014.07.03
石切劔箭神社へ行くと、生駒山の西麓にある大きな神社という印象を受けます。
でも古い河内の水面を戻すと、その見え方が変わります。
現在の東大阪の平地の多くが水や湿地だった時代、石切周辺は水辺を見下ろす側にありました。
そして石切劔箭神社では饒速日尊と、その子とされる可美真手命が祀られています。
ここで、いきなり「だから饒速日の本拠地だった」と決める必要はありません。
むしろ面白いのは、饒速日の伝承が残る場所と古代の交通条件が重なることです。
西には河内の水路。
東には生駒山を越えて大和へ入る道。
人が移動する場所です。
この位置なら、西から来た人も東から来た人も通る。
物も集まる。
情報も集まる。
地域を押さえるには重要な場所です。
そして神社があります。
私たちは今、神社を見てから地形を考えます。
でも昔は逆だったのではないでしょうか。
まず重要な土地がある。
人が集まる。
有力者が現れる。
祭祀が育つ。
その祭祀が長い時間を経て、現在の神社へ続いていく。
そう見ると、石切がなぜこの場所なのかという問いが出てきます。
饒速日を祀っているから重要なのか。
重要な場所だったから饒速日の記憶が残ったのか。
どちらが先だったのかは簡単には決められません。
でも、その問いを持つだけで石切の景色はかなり変わります。
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