日下から眺めれば、目の前は「大阪」ではなく湖だった
2014.07.02
生駒山の西麓に日下という土地があります。
現在なら東大阪の内陸部です。
でも古代の地形を戻すと、日下から見える景色は今とはまるで違います。山の麓から西側へ、広い水面や湿地が広がっていた時期がありました。
ここで思い出すのが神武東征の物語です。
神武の一行が難波から河内へ入り、生駒山を越えて大和へ向かおうとしたという伝承があります。
今の道路を頭に入れて読むと、生駒山へ陸路で向かったように感じます。
でも河内湾や河内湖の時代を重ねれば、船でかなり奥まで入ることができた可能性を考えられます。
すると日下は「山の麓の村」ではなく、水路から大和へ入る入口の一つに見えてきます。
山を越えれば奈良。
西へ戻れば大阪湾。
目の前には水運。
背後には生駒山地。
こういう場所は、交通の結節点になります。
そして交通の結節点には、人が集まります。
交易する人。
船を扱う人。
峠を越える人。
荷物を運ぶ人。
それを管理する有力者。
当然、祭祀も生まれるでしょう。
だから饒速日や長髄彦を考える時も、現在の奈良県と大阪府という線で切ってしまうと見えなくなるものがあります。
生駒山は県境ではありません。
西の水世界と、東の奈良盆地をつなぐ壁であり、同時に門でもありました。
その両側を誰が押さえていたのか。
そこから考えると、長髄彦や饒速日の物語も、ただの神話ではなく、交通と土地をめぐる政治の話に見えてきます。
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