伊都許利命の墓。伝承を「証拠」にせず、それでも捨てない
麻賀多神社を調べていると、伊都許利命という名前に出会います。
印旛国造の祖とされる人物です。
そして麻賀多神社の近くには、伊都許利命の墓と伝えられてきた場所があります。
ここで、私たちの歴史の見方が試されます。
「墓がある。だから伊都許利命は実在し、ここに埋葬された」
とすれば簡単です。
でも、それでは少し乱暴です。
古代の人物の墓と伝えられている場所が、本当に本人の墓なのか分からない例はいくらでもあります。
逆に、
「証明されていない。だから後世の作り話」
と捨てるのも簡単です。
私はどちらもしません。
まず墓を見る。
どんな場所にあるのか。
神社との距離はどうか。
周囲の古墳はどうなっているのか。
昔の水辺から見える場所なのか。
そこへ行く昔の道はどこにあったのか。
地元ではどのように語られてきたのか。
墓に供物はあるか。
今も誰かが手を合わせているか。
それから考えます。
伊都許利命その人の墓であることは証明できなくても、「この地域の人々が、なぜここに印旛の祖となる人物の記憶を置いたのか」という別の歴史は確実に存在します。
そして麻賀多神社には、印旛国造と伊都許利命を結び付ける由緒が残っています。麻賀多神社
祭祀。
国造。
墓。
古墳。
水辺。
これらが同じ地域に重なる。
私は一つ一つを無理につないで結論を出すより、まず全部置いてみたい。
机の上に置く。
地図にも置く。
最後に現地へ行って、本当にその景色を自分の目で見る。
文献だけでは分からなかった違和感が、現地では一瞬で分かることがあります。
逆に、地図で「つながっている」と思ったものが、現地へ行けば大きな丘や谷に遮られていることもある。
それが面白い。
歴史は、紙の上だけでは完成しないのだと思います。