古代の水面から見ると、鹿島・香取・印旛は一つの世界になる
鹿島神宮。
香取神宮。
麻賀多神社群。
現在なら別々に調べる場所です。
でも、古代の水面を一度戻してみます。
霞ヶ浦。
北浦。
香取の海。
印旛沼。
手賀沼。
そこへ注ぐ川。
今より広い水域を一枚につなぐと、これらは遠く離れた場所ではなくなります。
水の道でつながります。
ここで人間を置いてみます。
鹿島から船を出す。
香取へ行く。
内海を西へ進む。
支流へ入る。
印旛へ向かう。
その途中に集落がある。
津がある。
祭祀の場所がある。
有力者の墓がある。
そうすると、地図に描かれていた「神社の点」が、航路上の場所になります。
この瞬間に、歴史の見え方が変わります。
神社史ではない。
交通史だけでもない。
政治史だけでもない。
人が生きた世界になります。
祭祀は、物流と無関係ではない。
物流は、政治と無関係ではない。
政治は、有力者の墓と無関係ではない。
墓は、地域の支配や記憶と無関係ではない。
すべてが少しずつつながります。
だから私は、鹿島・香取・麻賀多を一本の線で無理につなぐ必要はないと思います。
同じ国家だった。
同じ民族だった。
同じ神を信じていた。
そこまで言わなくてもいい。
もっと単純です。
同じ巨大な水の世界を使っていた人々だった可能性がある。
それだけで十分に大きな意味があります。
古代の東国を考える時、山や国境だけでなく「水面」を復元する。
そこから人の移動を考える。
すると今まで見えなかった歴史が、かなり立体的になります。
そしてこの見方を続けると、次に気になるものが出てきます。
古社の名前に残る「津」。
港の地名。
川沿いに並ぶ古墳。
水面を見下ろす神社。
ここから先は、神社一社ずつではなく、
「なぜ古社はそこに建ったのか」
を東日本全体で追えるようになります。
これ、かなり大きなシリーズになります。